古月のおと

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阿刀氏

阿刀氏
(あとうじ)

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写真は京都の阿刀神社(あとじんじゃ)です。物部石上朝臣の支族 「阿刀氏」の氏神様です。

右京区の丸太町通り広沢南野町交差点東の住宅街の中にあります。ご祭神は、天照皇大神、味饒田命(うましにぎたのみこと)。

見落としてしまいそうな小さな神社ですが、式内社であり、明治初期までは大神宮社でした。味饒田命は、物部の祖とされる宇摩志麻遅命の息子です。つまり、饒速日命(天照国照彦天火明饒速日命)の孫にあたります。


阿刀氏の史書上の初見は天武元年、壬申の乱の時です。 大海人皇子(のちの天武天皇)が吉野に脱出した際につき従った舎人の一人。このときの功績で宿禰の姓となりました。また、物部守屋の別邸があったとされる地が河内の阿都です。


阿刀氏は、弘法大師=空海の母(阿古屋=玉依姫)の氏族でもあります。 空海の俗名は佐伯真魚(まお)です。父は佐伯善通。母は阿刀氏の出の阿古屋。空海の語学(漢詩・漢文)の師匠でもあった叔父の阿刀大足は佐伯善通の実弟で、阿古屋の妹と結婚して阿刀を継ぎました。阿刀大足は長岡京で桓武天皇の第三皇子伊予親王の侍講でした。

平安時代(823年)以後、明治初年まで、阿刀氏は、東寺執行職(しぎょうしょく)を世襲し、東寺には真言宗の政所がおかれました。

 東寺の境内北の住宅地に小社の石上神社(いそのかみじんじゃ)があります。正式には石上布留社(いそのかみふるしゃ)というそうです。 祭神は本社に石上布留御魂(いそのかみふるのみたま)、相殿に阿刀大神(あとおおかみ)を祀っています。東寺の石上布留社の創建の詳細は不明。宰主は、阿刀家が務め、ここに祀るのは、空海の母の実弟、初代執行の阿刀大足以来の慣例によるものだということです。 末社に三輪、伊勢、賀茂、岩清水、二天夜刃、役小角、稲荷、弄鈴(なるこ)、王仁(わに)、空海大神が祀られています。

阿刀氏を辿って行ったら、布留御魂がみつかりました。味饒田命(うましにぎたのみこと)を祀る神社も全国的には少ないですが、布留御魂を祀るのは更に少ないですよね。私が知る限りでは、鞍手の古物(石上)と、天理の石上と、京都東寺の石上の三社だけです。

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by furutsuki_oto | 2016-05-17 07:15 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(5)

磐栄稲荷神社

磐栄稲荷神社
(ゆわさかいなりじんじゃ)


亀岡市下矢田町安行山(あんぎょうざん、西山ともいう)に坐す 磐栄(ゆわさか)稲荷神社 です。

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ご祭神は、祭神は宇賀元御魂大神(岩長大神)、佐田彦大神(岩橋大神)、大宮能賣大神(岩丸大神)。ここは元稲荷とも云われています。

宇賀元御魂大神とは、古事記の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、日本書記の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)のこと。別名、御饌津神(みけつかみ)、保食神(うけもちのかみ)。

磐栄稲荷神社の創建の詳細は不明。少なくとも8世紀初頭には存在していた様子。陰陽博士・安倍晴明安行も西山に住み、稲荷神を信仰したといいます。安行山の名はこれに因んでいます。昭和になってから摂社に安行山晴明神社が設けられました。ともかくここが日本最古級の稲荷神社であるようです。


平安時代、日本最古の医学書「医心方」を著した丹波康頼が磐栄稲荷神社から稲荷大神を太秦(うずまさ)に祀りました。当時、太秦は秦氏一族の首長が住むところとなっていました。丹波康頼は、尾張(尾治)氏一族とも伝えられています。丹波康頼は、朝廷より丹波宿禰(すくね)姓を贈られました。


ある日、朝日長者ともいわれた秦伊侶具(はたのいろぐ)が御餅を的にしたところ、御霊が鳩となって伏見の山へ飛んで行き、それを知った伊侶具と崇敬篤き弘法大師が驚き、弘法大師が太秦から伏見の三ヶ峰に稲荷社を遷しお祀りしたのが伏見稲荷大社の始めと伝わります。

別の話では、稲荷大神の神威が強すぎるため伏見の三ヶ峰に遷したとも聞いています。

秦氏と尾張氏(おほの一族)は分かるが、ここで弘法大師(=空海)が出てきたのはなぜだろう。弘法大師は保食神を崇敬していたのか?

空海の出自は佐伯氏である。父は佐伯直田公善通。母は阿刀氏の出の阿古屋(あこや)。空海の生誕地については諸説あるが、佐伯郷は現在の亀岡市宮前町猪倉、稗田野町全域、吉田、並河、宇津根にあたりにあった。

佐伯郷の産土は、稗田野神社(ひえだのじんじゃ)と御霊神社(ごりょうじんじゃ)である。 稗田野神社は、和銅二年(709年)に創建され、保食命(うけもちのみこと)、大山祇命(おおやまづみのみこと)、野椎命(のづちのみこと)を祀っている。御霊神社は大同元年(806年)の創建で、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)を祀っている。御霊神社の所在地(字)は佐伯斎の神(さえきさいのかみ)である。


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by furutsuki_oto | 2016-05-12 07:23 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(1)

ドラゴンカーブ4  嵐山-嵯峨野

ドラゴンカーブ 4
嵐山-嵯峨野


鷹ノ口おだ山で見つけた「大地に刻まれた時計」としてのドラゴンカーブは、筑紫火の君つながりで「阿蘇」にも見つかりましたが、「おほ」繋がりであるなら京都の嵐山近辺にもあるはずだと探してみました。

道路に五芒星の角度が残っているので意外にあっさりと見つかります。しかし徐々に東へ遷りながら何度も作られたようで、候補がいくつも見つかって困ってしまいました。それで今日は、遍照寺山 を頂点とするパターンだけをまずご紹介しようと思います。

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図中の字が小さくなってしまいますが、見えますか?
水色の小丸は、交差点がバッチリ一致しているところです。
秦氏に関連しているといわれる神社や遺跡、阿刀氏の山背における初期の拠点、そして近隣の小学校が見事にのってきます。
先日ブラタモリの京都の回で紹介されていた断層崖も利用されていますね。
松尾大社は、松尾山から降ろされていますね。言い伝え通りです。

鷹ノ口おだ山と同じパターンです。観測線が刻まれています。
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気づきました!? 一見規則性がないように思える現在の京都の東西の通りの間隔、ドラゴンカーブの五芒星によって決定されています。


ここで、頂点になっている遍照寺山について少し説明しておきます。

遍照寺は、広沢池近くにある真言宗御室派準別格本山です。本尊は十一面観音、真言宗広沢流発祥の寺院として知られます。 遍照寺山は、観月の名所として知られる広沢池の北面にある山で、広沢池に映る姿が美しく嵯峨富士ともいわれます。遍照寺も元は遍照寺山にあったといいます。 

広沢池は、嵯峨野を開拓した渡来系氏族・秦氏の支族により開削されたと伝わっています。 往古の遍照寺には月見堂があったといいますし、このドラゴンカーブで正確な時刻が計れるようになっていますから、もともと月や星を精密観測する拠点だったのではないでしょうか。

南正面から見た遍照寺山は、ピラミッドか飯盛山かという形をしています。

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by furutsuki_oto | 2016-05-09 07:20 | ドラゴンカーブ | Comments(4)

嵯峨祭

嵯峨祭

京都では、もうすぐ嵯峨の野宮(ののみや)神社と愛宕(あたご)神社の例祭、嵯峨祭(さがまつり) です。今年(2016年)は、5月15日が神幸祭、5月22日には神輿や八乙女(やおとめ)・剣鉾(けんほこ)が巡行します。
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(写真は、以前観に行ったときに撮影したものです。)

野宮(ののみや)神社の神紋は 八剣法輪、愛宕(あたご)神社の神紋は鷹羽です。「八剣」「鷹羽」「剣」「八乙女」とくれば、ニニギ!? ホの一族?と いろいろと想像してしまいます。野宮は、黒木鳥居(*1)の古い形式の神社で、伊勢神宮にお仕えする斎王(*2)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところと伝わっています。嵐山や有栖川の名のおこりとなった「荒樔」の地名がもともと「禊の行われる川」の意とのことです。

*1 黒木鳥居というのは、樹皮をはがさない丸太で作られた古い形式の鳥居のことです。

*2 斎王というのは、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神にお仕えをする未婚の女性(天皇の親族)のことで、飛鳥・奈良時代から鎌倉時代までの660年の間に60人以上の斎王がいたとされます。

野宮神社の主祭神は野宮大神(天照大神)、摂社に野宮大黒天、白福稲荷大明神、白峰弁財天、大山弁財天、愛宕大神があります。また亀石と呼ばれる神石があります。神仏習合していますね。大黒天の垂迹神が大国主命、白福稲荷大明神が宇迦之御魂大神、大山弁財天は市杵島姫命のようです。白峰弁財天はどなたでしょう。愛宕大神は、あとでみるように迦遇槌命(=火之夜藝速男神)のようです。愛宕神社は、山城・丹波国境の愛宕山(標高924m) の山頂に鎮座しています。表参道入口の清滝の鳥居本は観光地としても有名です。愛宕神社は神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺といったそうで、修験道の道場として信仰を集めました。

愛宕神社のご祭神ですが、たくさんいらっしゃいます。本殿に、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、埴山姫神(はにやまひめのみこと)、天熊人命(あめのくまひとのみこと)、稚産霊神(わくむすびのかみ)、豊受姫命(とようけびめのみこと)。若宮に、雷神(いかづちのかみ)、迦遇槌命(かぐつちのみこと)、破无神(はむしのかみ)。奥宮に、大黒主命(大国主命) 以下17柱。摂末社に神明社(天照大神)、熊野社(伊弉諾尊)、稲荷社、白髭社ほか。

出雲神のようですが、よくわからないので、神仏習合時代の元々の姿を少しピックアップしますと、本宮に祀られてあるのは勝軍地蔵(垂迹神は伊弉冉尊)、奥院(若宮)に祀られてあるのは愛宕権現太郎坊天狗(迦遇槌命の化身)なんだそうです(*3)。

*3 藤原頼長の日記『台記』にも愛宕山の天狗信仰に関する記載がみられ、伊弉冉尊の第五皇子の迦遇槌(カグツチ)の神の化身とされています。迦遇槌命=火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)=火産霊(ほむすび)です。

愛宕神社の奥宮までの登山ルートは、表参道である清滝ルートの他にもいくつもあって、主要なものでは、月輪寺ルート、水尾ルート、樒原ルート、亀岡市八木からの越畑ルートなどがあります。元愛宕は亀岡にあったそうです。

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by furutsuki_oto | 2016-05-08 11:43 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(5)

月鉾の時計草

月鉾の時計草

このブログの「ロゴ画像」の説明をしていませんでしたね。京都の祇園祭の「月鉾」です。2014年の夏に仕事帰りに撮影しました。

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紋は、左三つ巴 と 五瓜に唐花の木瓜 ですね。(渦と五角形ですよ!)

月鉾といえば、月鉾の兎と亀の彫刻が左甚五郎作ということで有名です。

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「月」「鉾 (剣)」「左三つ巴」「蕨手」「兎」「亀」これだけでもいろいろ示唆されるものがあります。

しかし今日は、右上隅に写っている「時計草」にあえて注目してみたいと思います。

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花びらのように見えるのはガクで、ガクが十枚、雄しべが5本、時計の目盛りのごとき線状の花びらが100本。

「時計草」、そして時計草にまつわるこの数字。 このブログを隅から隅までお読みの方には ピンとくるものがあると思います・・

時計草は、実在する植物です。パッションフルーツといえば判かるでしょうか。

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時計草は亜熱帯の植物です。平安の昔もしくはそれ以前にこれが知られていたことが驚きです。なにより原産地はアメリカ大陸とされていたりします。謎です。


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by furutsuki_oto | 2016-05-03 15:47 | 大地に刻まれた時計 | Comments(0)
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古月 乙彦 のブログ  神社とか星とか 古代のロマン.    Since 2016.1.22


by 古月 乙彦(ふるつき おとひこ)
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