古月のおと

furutsuki.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:鞍手・宗像( 11 )

山神宮周辺(香月西)


山神宮周辺(香月西)

a0351692_10581245.jpg
皿倉-中山ライン上の神社・遺跡をみていっています。ここは八幡西区香月西の山上宮周辺です。斉明天皇が行宮をおいた岩瀬宮址の南東2.5km程のところです。

「山神宮」のご祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)、鳥居には昭和9年11月3日建立とあります。今は廃墟のように荒れています。貝島太助が明治29年に開いた旧 大辻炭砿に関連して祀られたもののようです。なんだ新しいのかと思わないでください。ここには江戸時代すでに香月炭鉱がありました(香月や垣生の石炭は、江戸時代初期には知られていたようです。また、元禄3年(1690)オランダ東インド会社の エンゲルベルト・ケンペルが書いた『日本誌』で木屋瀬,黒崎の石炭が紹介されていたことが、シーボルトの『江戸参府紀行』に出ているそうです。)。 すぐ東に吉祥寺と吉祥寺公園があります。また目の前の光照寺一丁目で弥生時代の環濠集落址である「光照寺遺跡」が出土しています。

「光照寺遺跡」では竪穴式住居跡のほか、剣、土師器、瓦器、舶載青磁、白磁、石庖丁、小型内行花文倭製鏡、銅製鋤先などが出ました。弥生時代にすでに土師氏が居て採掘を行っていたようです。ここは古代から知られた古い鉱山だったのです。そうそう、土師氏の祀る吉祥天は七面天女=多紀理毘売でしたね。

応援ありがとう。ボチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-02-19 11:32 | 鞍手・宗像 | Comments(0)

道中 松隈の 磐座


道中 松隈の 磐座

宗像大社社伝や鞍手の神話伝承では、三柱の女神は六嶽(むつがたけ)に降臨したといいます。日本書紀には「即以日神所生三女神者、使降居干葦原中国之宇佐嶋矣。今在海北道中。号曰道主貴」と記載があるのですが、鞍手では六嶽に降臨した三女神は、宇佐島、道中をへて400年くらいかけて赤間方面へと移動していき、今の宗像大社の場所に落ち着いたと伝える方もいます(あくまで聞いた話です)。宇佐島は六嶽の麓にかつてあった字で、いま宇佐寺があります。道中は、いま鞍手町に「道中交差点」というのがあるのですが、神崎の東から松隈・浪内あたりの細長い一帯のことも道中と地元の人々は呼びならわしています。鞍手町の剣岳の北の麓の中山の新橋から北が海中であったとき、ここが重要な交通路だったのだろうということです。

つづきがあります。私が中学生の頃(40年近く前)、鞍手で聞いた話では、三女神を祀る一派は分かれて到津荘のほうへもいったとも。小倉の香春口に近いところです(小倉には宇佐町もありましたね)。 さらに、私が高校生の頃、八幡にお住まいの宇佐一族の方から聞いた話では、到津より香春へ、そこから更に行橋、中津となんども遷宮してのち豊後の宇佐に落ち着いたとききました。中津の薦神社が宇佐神宮の元宮のひとつとも。こういう口伝はどこまで裏がとれているのでしょう。

ところで先ごろ、「松隈」は、宇佐宮の玄関口という話を知りました。宇佐託宣集によると、養老四年(七二〇)大隅・日向の隼人が反乱した際に八幡神自ら打ち取った隼人の首が埋められているということです。宇佐神宮の元宮の中津の薦神社の創建は承和年間(834-848年)だそうですが、そうすると、中津時代よりも更に前の宇佐社の脇にあった松隈の話なのかもしれません。そういえば、小学生の頃、鞍手の松隈の友人が武将の首が埋まっているという話をしていたのを聞いたことがありましたがその頃は何のことやらと聞き流していました。

しかし思い出したことがあります。 鞍手の道中の松隈・浪内に古月中学校がありましたが、その校庭には巨大な岩がありました。小学生がふざけて岩に乗ったらこっぴどく叱られてましたが、一度に五人ほど上っていたので、4~5メートルはあったろうと思います。最近、昔の航空写真にアクセスできるようになったので、確認できるかなと思って探してみたらありました。これです。

a0351692_00102379.jpg

赤丸で囲ったところに巨石がありました。当時、これは何かと教頭先生に尋ねましたら、学校を建てるまえからあった。三つほどあったが置いておけないので一部のみ残した。というような話でした。古月中学校は、丘のうえにありました。今思えば、古月中学校はちょっと変わった立地で、正門は急峻な石段(三十段以上四十段くらいはあったかと記憶)を上ったところにあり、大きな御影石の石柱門がありました。今ならわかります。この巨石は「磐座」だったのですね。今はもうありません。


応援ありがとう。ボチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-02-14 00:18 | 鞍手・宗像 | Comments(0)

布留神社・龍神社 (鞍手町古門)


布留神社・龍神社 (鞍手町古門)

a0351692_14053518.jpg
1930年の鞍手町北部の地図をベースとして、主要な土地の字(あざ)を書き込むとともに、古物神社に合祀されている 剣神社の元宮、布留神社の元宮、龍神社の元宮、消滅してしまったお宮などを書き込みました。

古門の剣神社の上宮は、龍神社だったのでした。 古物神社に合祀された龍神社の祠は、るなさんと七色さんと古物神社に参った際にも確認しました。

古野谷の北側には、秦氏が住んでいたと聞いていました。実際、秦氏の信仰する神様の神社が集中していました。 松尾神社、弥勒神社、保食神社がありました。ここは、宗形のうちでした。

上の地図に出てくる地名で、金銀宝飾が出土した遺跡・古墳について、追記しておきます。

古門松ヶ元6号古墳 銀環(耳飾り)x2、碧玉製管玉、ガラス製玉類、土玉 (首飾り)、須恵器

古月横穴 金環(耳飾り)x5、銀環(耳飾り)x3,、他17、メノウ製勾玉、タマキ貝製腕輪(釧)、玉類(首飾り)、馬具, 滑石製紡錘車、直刀, 鉄剣, 鉄鏃, 須恵器, 土師器

向山古墳群(1号墳・4号墳) 銀環(耳飾り)x1, 銅製耳飾りx3、土玉(首飾り)、紡錘車、須恵器、土師器

神崎2号墳 内行花文鏡片、鉄斧、須恵器、土師器、土器28

※ 地図は、筒井 甫 先生の本のとも突合せましたが、おかしな点があればコメントでご指摘ください。

応援ありがとう。ボチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-02-13 00:29 | 鞍手・宗像 | Comments(2)

1930年の鞍手町北部の地図


1930年の鞍手町北部の地図

a0351692_17471457.png
市町村合併前の古月村、虫生津村だった時代の1930年の鞍手町北部の地図を入手しました。(なんと横書き文字が右から左です。)

市町村合併後の地図では、住所表記において小字(こあざ)が消えてしまったばかりか、村名が大字(おおあざ)になって本来の集落の字(あざ)とは違う場所に字名が記入されたりして、神話伝承を土地の字と結びつけて説明するのにややこしい事態になっています。また古い地図を使うと炭鉱開発による陥落地や、ため池の埋め立ての影響もなくなります。そこで、この古い地図をベースに古地図に載る字名を追加して、鞍手神話の伝承説明に使おうと思い立ちました。

作業はこれからですが、とりあえず、入手した地図を貼っておきます。 虫生津、掛津、松隈などは、これが土地で呼ばれる字の本来の位置です。なお、「春日」(かすが) と「道中」(どうちゅう) は少しひろい地域を含みます。木月の東の低地や浮洲(ふしゅぅ)の南の低地、さらに金丸炭鉱の西の低地も「春日」のうちに入ります。浪内や松隈も「道中」のうちです。それから「中底井野」も広い地域名です。浅木宮の境内には "此処ハ中底井野" という石碑があります。もともとの中底井野は、遠賀町の一部と中間市の一部にまたがっています。


応援ありがとう。ボチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-02-12 17:49 | 鞍手・宗像 | Comments(1)

梅咲天満宮(香月)


梅咲天満宮(香月)
a0351692_00534620.jpg
香月電停の目の前にあります。梅咲天満宮です。
所在地は、北九州市八幡西区楠北3丁目14

皿倉(日枝)-中山ライン上の社寺を順にみていっています。

いまでこそ 天満宮 になっていますが、この形、古墳ですよね。

香月の地名の由来は、小狭田彦が日本武尊を歓待した折に日本武尊が詠った次の歌と伝わっています。
「あな楽し、花の香り月清きところかな。今よりこの地を香月のむらと名づくべし」

香月は、もとは葛城と書いたとか。「香月氏」は、神功紀に出て来る「葛城襲津彦」の末裔だそうです。

梅咲天満宮は、まだ紹介していない別の五芒星のらせんと関わっていますが、それはまた後日。


応援ありがとう。ボチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-02-11 01:03 | 鞍手・宗像 | Comments(0)

中山(鞍手町)


中山(鞍手町)

物部氏が絡む産鉄地形に「中山」という地名がよく見られるようである。

ここは鞍手町の中山 (中山本村あたり)。熱田神社と八剣神社がある 剣岳 と 鷹ノ口おだ山 の間にある集落である。(国土地理院の地図では「高ノ口」と表記)

a0351692_23571348.jpg

新北物部の里である 新北 から冬至の日没のレイライン上に並んでいる。剣岳山頂には、八剣神社の上宮がある。戦国時代に剣岳山頂に城が建てられることになって八剣神社の拝殿が遷されたようだ。 こうして拡大してみると、植木の須賀神社もライン上にあるようだ。 鷹ノ口おだ山の真東に、熊襲の 江上梟師(たける)が居たという金剛山が見える。

鞍手郡野面村八所大明神並びに同社境内にあった寿福寺の古文書によると、
 昔景行天皇の御躬親豊国の土賊を誅せんと欲し、周芳の沙磨の津を解纜して筑紫に幸し、到って香月君の祖小狭田彦の方に住み給う。而して宗形県主至る。一日天気夙に起き四方佳景の庄商の丘上に映照す状を眺望し、小狭田彦を召して曰く、嗚呼好哉彼野中の丘は。朝日の直刺し夕日の暮愛すべき丘なり。朕彼地に臨幸して親しく鎮魂を為さんと欲す、汝宜しく朕が為に其の設有るべし。是に於て小狭田彦寺を其の丘に建て竜尾扈従して鎮祭す。
(中略)
小狭田彦を以て鞍手の県主と為し且つ聞の田五十丁を賜う。
とある。

現在のおだ山は、木々が生い茂っていて見晴らしが悪いが、東の平地からの眺めで代用してみると・・こんな感じ。

a0351692_00222548.jpg

鷹ノ口おだ山は、真東より南30度(四時の方向)に福智山、真東より北30度(二時の方向)に帆柱山がみえる位置にある。(皿倉山は帆柱山とほぼ重なってみえている)

日本武尊は黒崎より上陸して笹田の小狭田彦とともに黒川を渡り、熊襲の軍を屠ったという。小狭田彦の子孫が香月と名乗った。

香月の君 小狭田彦の娘 常磐津姫は日本武尊の妃となる。常磐津姫には男子が生まれた。その名を御剣王という。御剣王は成長すると父 日本武尊の東征に従って行った。

※ 剣岳山頂は、木が伐採されて、眺望が復活しているとの情報をいただきました。
※ 記紀にある景行天皇の熊襲平定の折の行宮「高屋の宮」に対応するとも考えられる。


応援ありがとう。ポチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-02-11 00:24 | 鞍手・宗像 | Comments(0)

熱田神社(鞍手町)の椿模様


熱田神社(鞍手町)の椿模様

a0351692_21203142.png
これまで、鞍手町の長谷寺、笠岡市神島の七面神社南丹市みやま町の古民家に「椿の花弁様の模様」があしらわれた鬼瓦なり杉板をみつけていますが、もうひとつ見つけました。 鞍手町の新北(にぎた)の亀甲にある熱田神社にありました。 

鞍手町の熱田神社もすっかり有名になって、神紋が尾張の熱田神宮と同じ「桐」であるとか、宮司家も同じ金川(かながわ)氏であるというのは指摘されておりましたが、この杉板をよ~くみかえしてみると、「椿の花弁様の模様」がクッキリとあしらわれておりました。

ここは今でも聖地で、椿の花を持ち出すことも戒められています。

ここは饒田物部(新北物部)の地、金川家の祖先は「鞍橋ノ君」と伝わっています。鞍橋ノ君は、鞍手町長谷(はせ)の飯盛山(いいもりやま)に眠っておられるそうです。そこには鞍橋神社があります。


応援ありがとう。ポチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-02-01 19:08 | 鞍手・宗像 | Comments(0)

竹原古墳


竹原古墳
a0351692_12271017.jpg
福岡県宮若市竹原(旧 鞍手郡宮田町竹原)にある竹原古墳です。諏訪神社境内にあります。ここの装飾古墳はあまりにも有名ですね。6世紀後半ごろのものと考えられています。

ひもろぎ逍遥のるなさんも竹原古墳の訪問記を書いておられます。るなさんが指摘しておられるように、赤いふち模様の火を噴くドラゴンは竜座のようです。

ブーツの武人は、馬を牽いて船から下ろしているように見えます。
船首の飾りは「幡」でしょうか。


応援ありがとう。ポチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-01-31 18:20 | 鞍手・宗像 | Comments(0)

皿倉(日枝)-中山 ライン


皿倉(日枝)-中山 ライン

中山寺 (宝塚市)」の話題の折に、比叡山(日枝山)-中山寺-六甲山 のラインを紹介しました。夏至日出-冬至日没線であり、天香香背男=天手力男意気続々流住吉大神や松尾大神に関連するラインでした。

はて、日枝と中山、遠賀川水系にもあったような・・松尾大神も筑紫胸形坐中部大神だし・・というわけで、遠賀川水系で対応するラインを探してみました。 もうひとつの 日枝-中山ラインです。

a0351692_12284816.jpg

北九州市八幡東区に「山王(さんのう)」という地名があります。山王信仰が根付いている土地です。皿倉山を日枝山として崇めます。山王の南に石鎚神社があります。山王の北には、大宮、枝光の地名があります(枝光八幡宮のご祭神は武御名方命)。皿倉山は、古来、山伏が修行の場としてきた山で、現在でも皿倉山から英彦山までの山道を3日間掛けて歩く修行などが行われています。皿倉の名称は、神功皇后以降との伝承です。

その皿倉山から鞍手の中山(剣岳, 御山)まで 夏至日出-冬至日没線 が引けます。ライン上に、山神宮、梅咲天満宮、鷹ノ口おだ山、熱田神社などがあります。延長していくと竹原古墳に至ります。筑紫の加茂も近いですね。 それから中間市辺りは、古代は胸形です。 何を表しているのか詳細は不明ですが、なんとなく意味深げなラインです。

応援ありがとう。ポチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-01-29 12:32 | 鞍手・宗像 | Comments(6)

劔神社 倉師大明神(直方市亀丘)


劔神社 倉師大明神(直方市亀丘)
a0351692_11072175.jpg

久しぶりに、鞍手周辺の神社をご紹介します。鞍手町と直方市と宮若市の境「六ヶ嶽(むつがたけ)」の東の山麓の亀丘(かめおか)に鎮座しています「劔神社」です。(当ブログでは、京都府の「亀岡」がよく出てきますが、今日は 旧 鞍手郡 の「亀丘」です。なお、写真は、2015年末に撮影したものです。)

劔神社由緒によれば、往古は「倉師大明神 (くらじだいみょうじん)」と称えられ、六ヶ嶽の東嶺「天上嶽」に鎮座されていたといいます。六ヶ嶽というと、紀元前700年の頃に比売大神(宗像三女神)が降臨したと伝えられている山です。

劔神社の祭祀の始祖は、筑紫の国造「田道命(たみちのみこと)」(考元天皇の五世の孫)で、筑紫物部を率いて神々を祀るとあり、田道命の橘孫「長田彦」が神官となりました。室町時代に入って足利義満(あしかが よしみつ)は、高向兵部卿良舜を奉行とし社殿を造営し奉りました。

戦国時代には、六ヶ嶽の支峰である龍ヶ岳にあったといいます。龍ヶ嶽城の城主杉氏は、同社を 粥田莊(遠賀・鞍手・嘉麻3ヶ郡にわたる荘園の)鎮守の宗社として崇敬し、社殿を紫竹原に遷座造営し、熱田神宮より日本武尊を相殿に奉祀して「八劔大神」と称えられました。江戸時代に黒田家により現在の「亀丘」に遷されたといいます。現在の社殿は、直方藩主・黒田長清が再造営したものです。

御祭神は、 
・伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ) 
・伊邪那美大神(いざなみのおほかみ) 
・日本武尊(やまとたけるのみこと) 
・石拆神(いはさくのかみ) 
・根拆神(ねさくのかみ) 
・石筒之男神(いはつつのをのかみ) 
・甕速日神(みかはやひのかみ) 
・樋速日神(ひはやひのかみ) 
・建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ) 
・闇淤加美神(くらおかみのかみ) 
・闇御津羽神(くらみつはのかみ)

「みつは」は 映画「君の名は」で 水神であることが広く知られるようになりましたね(笑)。瀬織津姫(せおりつひめ)が隠されています(と私的には思っています)。瀬織津姫は、瀧の神・河の神でもあり、また祓戸四神の一柱で災厄抜除の女神です。

伊邪那岐尊は、ここから冬至日出線方向の直方市の多賀神社に鎮座されています。直方市の多賀神社は、往古、日若の宮と称えられましたが、多賀神社伝わる日若踊りでは、「豊かな国、筑紫の島根、この島の比古と宇麻美の河合の小高い山根を見て、ここがよい、ここがふさわしいと立ち寄って倉戸を造られた。」ということです。ここに出てくる比古と宇麻美とは、多賀神社の南方にみえる英彦山(ひこさん)と馬見山(うまみやま)のことです。(直方市の)多賀は弥生前期まで淡海(汽水)のほとりの岬でした。多賀神社の冬至日没線方向には饒速日降臨の笠置山があります。

で、倉師大明神はというと、記紀に出てくる 高倉下(たかくらじ) つまり 鞍橋君(くらじのきみ)のことです。高倉下をお祀りする神社としては、三重県伊賀市の高倉神社が全国的に有名ですが、そちらは高倉下命の七代の後の子孫である倭得玉彦命が移り住んで高倉下命を祖神として祭祀した事を起源としたものです。 この六ヶ嶽山麓の 倉師大明神は、鞍手を本願地とされていた鞍橋君(くらじのきみ)を祀るもので、「鞍手」の地名の起源そのものが鞍橋君にあるという内容を 国学者 伊藤常足 が太宰管内誌で言及されております。

応援ありがとう。ポチっとね.
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

[PR]
by furutsuki_oto | 2017-01-08 11:26 | 鞍手・宗像 | Comments(0)
line

古月 乙彦 のブログ  神社とか星とか 古代のロマン.    Since 2016.1.22


by 古月 乙彦(ふるつき おとひこ)
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31