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劔神社 倉師大明神(直方市亀丘)


劔神社 倉師大明神(直方市亀丘)
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久しぶりに、鞍手周辺の神社をご紹介します。鞍手町と直方市と宮若市の境「六ヶ嶽(むつがたけ)」の東の山麓の亀丘(かめおか)に鎮座しています「劔神社」です。(当ブログでは、京都府の「亀岡」がよく出てきますが、今日は 旧 鞍手郡 の「亀丘」です。なお、写真は、2015年末に撮影したものです。)

劔神社由緒によれば、往古は「倉師大明神 (くらじだいみょうじん)」と称えられ、六ヶ嶽の東嶺「天上嶽」に鎮座されていたといいます。六ヶ嶽というと、紀元前700年の頃に比売大神(宗像三女神)が降臨したと伝えられている山です。

劔神社の祭祀の始祖は、筑紫の国造「田道命(たみちのみこと)」(考元天皇の五世の孫)で、筑紫物部を率いて神々を祀るとあり、田道命の橘孫「長田彦」が神官となりました。室町時代に入って足利義満(あしかが よしみつ)は、高向兵部卿良舜を奉行とし社殿を造営し奉りました。

戦国時代には、六ヶ嶽の支峰である龍ヶ岳にあったといいます。龍ヶ嶽城の城主杉氏は、同社を 粥田莊(遠賀・鞍手・嘉麻3ヶ郡にわたる荘園の)鎮守の宗社として崇敬し、社殿を紫竹原に遷座造営し、熱田神宮より日本武尊を相殿に奉祀して「八劔大神」と称えられました。江戸時代に黒田家により現在の「亀丘」に遷されたといいます。現在の社殿は、直方藩主・黒田長清が再造営したものです。

御祭神は、 
・伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ) 
・伊邪那美大神(いざなみのおほかみ) 
・日本武尊(やまとたけるのみこと) 
・石拆神(いはさくのかみ) 
・根拆神(ねさくのかみ) 
・石筒之男神(いはつつのをのかみ) 
・甕速日神(みかはやひのかみ) 
・樋速日神(ひはやひのかみ) 
・建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ) 
・闇淤加美神(くらおかみのかみ) 
・闇御津羽神(くらみつはのかみ)

「みつは」は 映画「君の名は」で 水神であることが広く知られるようになりましたね(笑)。瀬織津姫(せおりつひめ)が隠されています(と私的には思っています)。瀬織津姫は、瀧の神・河の神でもあり、また祓戸四神の一柱で災厄抜除の女神です。

伊邪那岐尊は、ここから冬至日出線方向の直方市の多賀神社に鎮座されています。直方市の多賀神社は、往古、日若の宮と称えられましたが、多賀神社伝わる日若踊りでは、「豊かな国、筑紫の島根、この島の比古と宇麻美の河合の小高い山根を見て、ここがよい、ここがふさわしいと立ち寄って倉戸を造られた。」ということです。ここに出てくる比古と宇麻美とは、多賀神社の南方にみえる英彦山(ひこさん)と馬見山(うまみやま)のことです。(直方市の)多賀は弥生前期まで淡海(汽水)のほとりの岬でした。多賀神社の冬至日没線方向には饒速日降臨の笠置山があります。

で、倉師大明神はというと、記紀に出てくる 高倉下(たかくらじ) つまり 鞍橋君(くらじのきみ)のことです。高倉下をお祀りする神社としては、三重県伊賀市の高倉神社が全国的に有名ですが、そちらは高倉下命の七代の後の子孫である倭得玉彦命が移り住んで高倉下命を祖神として祭祀した事を起源としたものです。 この六ヶ嶽山麓の 倉師大明神は、鞍手を本願地とされていた鞍橋君(くらじのきみ)を祀るもので、「鞍手」の地名の起源そのものが鞍橋君にあるという内容を 国学者 伊藤常足 が太宰管内誌で言及されております。

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by furutsuki_oto | 2017-01-08 11:26 | 鞍手・宗像 | Comments(0)
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