片野物部 3 伊香色雄
現在の大阪府交野(かたの)市と枚方(ひらかた)市に天野川があります(古くは甘野川とも)。物部氏の祖といわれる宇摩志麻治から6代めにあたる伊香色雄が4世紀前半に天野川の南方の伊香賀(現在の枚方市伊加賀)に住み、その地域を支配したようです。ついで伊香色雄の子の多弁宿禰(たべのすくね)が 天野川流域を開拓し、淀川と天野川の合流する地域を支配したと伝えられています。多弁宿禰の末裔の一族は片野物部(かたのもののべ)となりました。
なお、多弁宿禰(たべのすくね)の母は山代県主祖 長溝の娘・真木姫です。宇摩志麻治から伊香色雄の6代は次の通りです。
宇摩志麻治―彦湯支―出石心―大矢口宿禰―大綜麻杵―伊香色雄
宇摩志麻治―味饒田命(うましにぎた) の系統は、阿刀連になりました。
伊香色雄命の同母姉妹に伊香色謎(いかがしこめ)命がおり、8代孝元天皇の妃となり、後に9代開化天皇の皇后となり、10代崇神天皇の母となります。
伊香色謎の子孫は、伊香色謎―彦太忍信―屋主忍男武雄心―武内宿禰―葛城襲津彦―磐之姫(16代仁徳天皇の皇后)と続き物部氏は天皇家との関係を密にして大躍進することになります。
現在の大阪府枚方市枚方上之町に意賀美(おかみ)神社があります。ここは元は須加神社で、明治時代に伊加賀村宮山に鎮座していた意賀美神社を遷座合祀して今の意賀美神社になったのだそうです。意賀美神社が鎮座する地は万年寺山といい、1904年に万年寺山古墳が発見され青銅鏡8面と鉄刀が出土しました。万年寺山古墳は4世紀中頃の築造のようで、伊香色雄の没年も4世紀前半ですから、万年寺山古墳は伊香色雄の墳墓の可能性が高いと思われます。
意賀美神社の元の鎮座地である伊加賀村宮山(今の意賀美神社から約100m南)は、伊香色雄の邸宅址であったのかもしれません。
崇神天皇の7年(300年頃)に、伊香色雄命が大田田根子を神主として大和三輪に大物主神を祀ります。また、布都大神が宇摩志麻治の時代に宮中で祀られていたのを 崇神天皇の勅命により伊香色雄がご神体を石上邑の龍王山の麓の布留山に遷して石上坐布都御魂神社として祀りました(今の奈良県天理市布留町の石上神宮; 日本書紀では石上神宮とあるが、延喜式神名帳に大和国山辺郡 石上坐布都御魂神社とあるのでこちらをとる)。以後、石上大明神は物部氏の氏神として崇敬されました。
なお、石上神宮は武器庫を兼ねていたらしく、桓武天皇のときに神宮の兵仗は 山城国 葛野郡に遷されたとの記事が日本後紀にあります。