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丹波の出雲

丹波の出雲

京都に隣接する丹波(亀岡盆地)には、丹の湖の伝説があります。丹波は大昔は「丹の湖(にのうみ)」といわれた赤土の泥湖で、松尾大神(大山咋命)が保津峡を切り開いて丹波の水を流し、丹波を肥沃な盆地に変えたというものです。「丹波」の地名も「風が吹くと湖に丹色(朱色)の波が立った様子」に由来するとする説もあります。

京都の観光客にトロッコ列車や保津川下りで知られる「保津峡」ですが、実はそこが亀岡盆地唯一の流出口となっています。他に丹波盆地の外へ流れ出る川はありません。伝承では、その保津峡がそもそも人工河川だという驚きの内容です。

亀岡の「請田神社」に残る伝承は次のようなものです。松尾大神は、葛野(京都)干拓より前にまず丹波を拓いたといいます。最初単独で鍬を入れ始めたが難渋し、胸形神が大国主(大物主)を呼んできた。大国主は現地を見て「請けた」といったので、以後協力して開削を進めたという内容です。
なお、請田神社の祭神は 大山咋神と市杵島姫命です。大山咋神は出雲からやってきた神とされます。大山咋命と大国主命はそれぞれは鋤・鍬をとり並んで丹波開拓に励みました。

大国主が保津峡の開削を請け負ったこの地に創祀されたのが丹波国亀岡の「請田神社」なのだそうですが、請田神社の創祀は709年と伝わっています。現在、請田神社は亀岡を代表する産土(うぶすな)で、周囲には秦氏、出雲氏にゆかりの神社が点在しています。また、「保津」の地名は大国主(大物主)の后、三穂津姫命に由来するともいわれています。

亀岡盆地は、地質学的にも鮮新世・更新世頃まで標高280mほどの湖であったことがボーリング調査で確認されており、周辺の山体には一部平らになっている段丘地形も見られます。亀岡盆地が湖であったことは疑いようのない事実です。


その後、大国主の一族は、続々と丹波に移り住んできます。大井神社の伝承によれば、松尾神社に五人の出雲神のご兄弟がおられた(いずれも大国主の子とされます)。そのうちの御井神(木俣神)が市杵島姫命と一緒に洛西松尾大社から亀に乗って大井川(桂川)を遡上されたが、保津の急流が乗り切れなかったので、鯉に乗りかえて、ここ大井に上陸して鎮座された。

亀岡市千歳町には元出雲といわれる「出雲大神宮」があり、大国主命は、三穂津姫命と共にここに祀られています。出雲大神宮では大国主命の別名を「三穂津彦大神」や「御蔭大神」としています。出雲大神宮の周辺には西山断層が通っており、御影石も採れます。

徒然草の第二百三十六段に「丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。~」とありますが、出雲大神宮が、その丹波の出雲です。高校生の頃に国語で習った方もいらっしゃるかと思います。

出雲大神宮は、奈良時代の和銅元年(708)に大神朝臣狛麻呂(おおみわのあそんこままろ)が丹波国司に着任し、その翌年(709)に社殿を建立したとされています。

大国主の一族がどこから遷ってきたのかは明言されていません。三穂津姫命を伴っていることと、「国譲りの所以で坐す」と伝わっていることから、素直に受け取れば、豊葦原中国を譲った後ということは分かるのですが、国譲りした豊葦原中国から直接来たのか、何か所か経由してからなのかは不明です。

ただ、丹波より前の「出雲」は島根県ではないようです。島根県出雲市のいわゆる出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲神社」と言えば出雲大神宮を指していたといいます。(出雲市は、江戸時代までは「出東郡」でした。明治以後に「出雲郡」に名称変更しています。また、出雲大神宮の社伝によると、和銅年中に大国主の一柱のみを分霊し島根の杵築宮に遷したとしています。)

私説では、丹波より前の元の出雲は、遠賀川水系であろうと思います。



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by furutsuki_oto | 2016-02-28 15:13
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