100刻制と十干
星見の民の暦において、一日は十の刻(とき)に分けられていたに違いないというようなことを書いてきた。一日を十の倍数に分割するというのは、実際のところあったのだろうか。
現代の中国では、刻(こく)と言えば、15分間のことを指すらしい。「刻」という名称は、漏刻(水時計)の刻み目に由来するらしいが、これが実は100刻制に由来するそうだ。中国では前漢の時代に1日100刻制が確立した。1日は86400秒なので、1刻は864秒(14分24秒)となる。
100刻制は明末期の1628年まで残る。現代の中国での「刻」は15分という感覚は、この辺りから来ているらしい。
日本では、100分割の刻は天文や暦学の分野で使用され、日常的に不定時法が採用されてからも、天文時間では等分のままであった。
100刻を短く表記するには、十の要素を更に十分割すればよい。10の要素は、古来、「十干」すなわち 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸 と表記されてきた。「十干」は「天干」ともいう。
十干は、五行と陰陽の組合せで木兄(きのえ)・木弟(きのと)・火兄(ひのえ)・火弟(ひのと)・土兄(つちのえ)・土弟(つちのと)・金兄(かのえ)・金弟(かのと)・水兄(みずのえ)・水弟(みずのと)とも表現される。
十進化時間は、東洋だけではない。フランス革命暦の時間の単位は、一日を十の刻に分ける十進化時間制だった。
あと、最近では、スウォッチ・インターネットタイム(Swatch Internet Time)が十進化時間になっている。