古月のおと

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ドラゴンカーブ4  嵐山-嵯峨野

ドラゴンカーブ 4
嵐山-嵯峨野


鷹ノ口おだ山で見つけた「大地に刻まれた時計」としてのドラゴンカーブは、筑紫火の君つながりで「阿蘇」にも見つかりましたが、「おほ」繋がりであるなら京都の嵐山近辺にもあるはずだと探してみました。

道路に五芒星の角度が残っているので意外にあっさりと見つかります。しかし徐々に東へ遷りながら何度も作られたようで、候補がいくつも見つかって困ってしまいました。それで今日は、遍照寺山 を頂点とするパターンだけをまずご紹介しようと思います。

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図中の字が小さくなってしまいますが、見えますか?
水色の小丸は、交差点がバッチリ一致しているところです。
秦氏に関連しているといわれる神社や遺跡、阿刀氏の山背における初期の拠点、そして近隣の小学校が見事にのってきます。
先日ブラタモリの京都の回で紹介されていた断層崖も利用されていますね。
松尾大社は、松尾山から降ろされていますね。言い伝え通りです。

鷹ノ口おだ山と同じパターンです。観測線が刻まれています。
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気づきました!? 一見規則性がないように思える現在の京都の東西の通りの間隔、ドラゴンカーブの五芒星によって決定されています。


ここで、頂点になっている遍照寺山について少し説明しておきます。

遍照寺は、広沢池近くにある真言宗御室派準別格本山です。本尊は十一面観音、真言宗広沢流発祥の寺院として知られます。 遍照寺山は、観月の名所として知られる広沢池の北面にある山で、広沢池に映る姿が美しく嵯峨富士ともいわれます。遍照寺も元は遍照寺山にあったといいます。 

広沢池は、嵯峨野を開拓した渡来系氏族・秦氏の支族により開削されたと伝わっています。 往古の遍照寺には月見堂があったといいますし、このドラゴンカーブで正確な時刻が計れるようになっていますから、もともと月や星を精密観測する拠点だったのではないでしょうか。

南正面から見た遍照寺山は、ピラミッドか飯盛山かという形をしています。

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by furutsuki_oto | 2016-05-09 07:20 | ドラゴンカーブ | Comments(4)

月鉾の時計草

月鉾の時計草

このブログの「ロゴ画像」の説明をしていませんでしたね。京都の祇園祭の「月鉾」です。2014年の夏に仕事帰りに撮影しました。

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紋は、左三つ巴 と 五瓜に唐花の木瓜 ですね。(渦と五角形ですよ!)

月鉾といえば、月鉾の兎と亀の彫刻が左甚五郎作ということで有名です。

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「月」「鉾 (剣)」「左三つ巴」「蕨手」「兎」「亀」これだけでもいろいろ示唆されるものがあります。

しかし今日は、右上隅に写っている「時計草」にあえて注目してみたいと思います。

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花びらのように見えるのはガクで、ガクが十枚、雄しべが5本、時計の目盛りのごとき線状の花びらが100本。

「時計草」、そして時計草にまつわるこの数字。 このブログを隅から隅までお読みの方には ピンとくるものがあると思います・・

時計草は、実在する植物です。パッションフルーツといえば判かるでしょうか。

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時計草は亜熱帯の植物です。平安の昔もしくはそれ以前にこれが知られていたことが驚きです。なにより原産地はアメリカ大陸とされていたりします。謎です。


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by furutsuki_oto | 2016-05-03 15:47 | 大地に刻まれた時計 | Comments(0)

星読みの暦

星読の暦

「ひもろぎ逍遥」で紹介された鞍手の「星読みの民」、
ここでは単に「星読」と呼ぶことにする。

「星読」は、「地に刻まれた時計盤」を使って、その日に真東
から昇る星や 東方最大離角にある金星から正確な時刻を読み
取る技をもっていた。

「星読」は、五芒星をタイリングしたドラゴンカーブを使って
精密観測を行っていた。

今日は、そこから推定される「星読の暦」について考えてみよう。


しかし、その前に太白の暦をざっと理解しておく必要がある。

太白の動きを知る人たちは、太白が天に留まる5つのポイントが
あって、その星座で季節が知れること、これを地上に写した
五芒星を描くことで星から時刻が知れることを知っていた。

彼らは地上に刻んだ五芒星を使って、見えている天(黄道)を
天頂基準の10の区分に分けた。

天には、見えている天(つまり「陽」)と見えていない天
(つまり「陰」)がある。従って、一日は、五芒星を使って
20の刻(とき)に分けられた。

1刻を表す20分画のひと目盛りは、360°÷ 20 = 18°である。
この1刻で星は18°動く。シリウスと三ツ星の経度に相当する。

太白が宿る5つの宮は、五惑星に結び付けて色が充てられた。

ここで、五惑星は すなわち、土星、木星、火星、金星、水星
である。(ここでは、地上から見える最大角速度が遅い順に
ならべた。五行の並びとは違うので注意)

これに対応する五色は、蒼(青)、黄、朱(赤)、白、玄(黒)である。
まんま星の色である(水星が黒なのは、日面通過のとき最もその
存在を示すから)。

太白の暦は、一日を 20の刻に分け、ひとつの五芒星でその刻を
よみとった。20を数詞で表すのも象形で表すのも大変なので、
五色と四獣だったかもしれない。十刻と陰陽だったのかもしれない。
いずれにせよ、一日を20の刻に分けた。


太白の暦の利点は、空がせまい谷でも利用できることである。
ただ、黄道を見ていた点において、大雑把な時間把握だったと
思われる。


さてようやく「星読の暦」の説明に入る準備ができた。

まず、「星読」は黄道と赤道の区別がついており、正確な時間を
測るためには、赤道上の星を使うべきであることを知っていた。

また、五芒星をタイリングしたドラゴンカーブで、精密観測を
行っていた。

鷹ノ口おだ山のドラゴンカーブは、4.5°刻みの目盛りを刻んで
いた。これは、赤道を80分割する目盛りである。

80分割には陰陽と八方位そして五色の考え方を使ったと思われる。
4.5°の目盛りからは、45°ずつの方位も出てくるのである。

彼らは恐らく見えている南天を東の空と西の空に分けて考え、
それを五芒星に内在する角度から出てくる五色で更に5分割して、
一日を20の刻に分けた。20の刻は太白暦の継承でもある。

鷹ノ口おだ山のドラゴンカーブは、これを更に四分割する4.5目盛り
を与えてくれる。そして読み取りに際し、さらに6分割することで
時間分解能3分の時計を実現していた。

「星読」は、赤道上を動く星を精密観測していたのだ。

彼らはまた、シリウスや8年で5回の東方最大離角をとる金星を
精密観測し、一年が 365.25日 であることを知っていた。

知っていたうえで、周辺の首長たちの召集には太陰暦を用いた。
すなわち、月が無い朔が「ついたち」、三日月が「三日」、
十五夜が十五日という月の形を見れば何日かわかるという方法だ。
星読みは、朔日に首長たちを召集し、うるう月や種まきの旬を
告知した。


鷹ノ口おだ山から見える帆柱山・金剛山・福智山との角度から
判ることだが、彼らは、19年毎のスーパームーンを観測していた。

何のためか。一朔望月は 29.530589日なので、月の満ち欠けだけ
で日にちを決めるやり方だけを押し通すと季節とのズレが激しく
なる。そこで19年に7回の閏月を入れる太陰太陽暦に改良した。

19年に7回閏月入れると、19×12+7で235朔望月である。
これなら19年が6939.688日となる。19太陽年の6936.280日と
極めて近い。
このやり方は、ギリシャでは紀元前433年には知られていた。

「星読」は、現代にも通じる正確な時刻を知る術と太白の動き
から精密化した太陽太陰暦をもっていた。

以上が、星読の暦について、彼らの観測装置から推定したこと
である。


次回は、月の位置から時刻を読み取る方法を編み出した
「月守の暦」を予定しています。


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by furutsuki_oto | 2016-02-07 12:03 | 大地に刻まれた時計 | Comments(0)

六嶽周辺の五芒星 7  底井野

六嶽周辺の五芒星 7
底井野

中間市 上底井野周辺の五芒星である。

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黄色で示す五芒星は、六嶽を囲む八つの五芒星のひとつ。

緑で示した五芒星は、より古いと考えているドラゴンカーブの
パターンを構成する五芒星である。

両方の五芒星に含まれる位置に、桜の名所として知られる垣生公園
があり、公園内に埴生(はぶ)神社がある。
「埴生」は、「船の帆(羽布)」の意味。
埴生神社は六嶽を拝む方向に向いていると伝えられていた。

垣生公園内には垣生羅漢百穴(はぶらかんひゃっけつ)と呼ばれる
横穴式の群集墓多数があり、有力豪族がいたことを伺わせる。
横穴のいくつかには帆船の線刻画がある。

五芒星の解析からは、意味ありげな三つの丘が確認される。
この辺りは、当初宗像郡宗像郷に属し、宗像郡の中心部であった。


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by furutsuki_oto | 2016-02-04 22:17 | 六嶽周辺の五芒星 | Comments(0)

六嶽周辺の五芒星 6  宮田倉久

六嶽周辺の五芒星 6
宮田倉久

六嶽周辺の五芒星の中でも大きなものを順に紹介していっている。
今回は、宮田(現 宮若市の一部)の倉久周辺の五芒星である。


ここは、ほぼほぼゴルフ場と工場になってしまった。
五芒星に直接のってくる神社は少ないが、特異な角度の道路や
変則的な交差点の様子、また周囲の神社配置との関係から
五芒星が浮かび上がる。

笠松神社は、工場建設の頃に遷座したように聞いている。
町道上倉線(上有木~倉久)の改良工事にともない移転した。
(間違っていたらご指摘ください)

もとの道は、神功道である。神功皇后が笠をかけたという伝承がある。
また、貝原益軒著の「鞍手郡磯光神社縁起」によれば、
饒速日尊が垂仁天皇16年に宮田町の南に聳える笠置山頂(425m)に
降臨したという。

倉久集落の裏手の山が気になる。


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by furutsuki_oto | 2016-02-04 01:41 | Comments(0)

ドラゴンカーブ 3  阿蘇

ドラゴンカーブ 3
阿蘇


「ひもろぎ逍遥」での「鷹ノ口おだ山」に関連する記事を
読み返してみると、るなさんは、再三にわたり「阿蘇」との
対比に言及している。

そこで、阿蘇神社周辺でドラゴンカーブを探してみた。
すると、あっさり見つかった。

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鞍手の「鷹ノ口おだ山」の北(鞍手中央公民館辺り)を
観測点とするドラゴンカーブと全く同じパターンに
ビッタリ重なる。
(「ドラゴンカーブ 2 鷹ノ口おだ山」を参照)

「小倉菅原神社」を「観測点」とするドラゴンカーブだ。

大地に刻まれた時計」に書いたように、このカーブは、
4.5°ずつの目盛りを刻んでいる。3分以上の精度の精密な
時計だ。 見渡す先には阿蘇山の噴火口がある。
阿蘇の噴火の頻度やタイミングを精密観測していたのだろう。


しかし、「鷹ノ口おだ山」のドラゴンカーブにそっくりだ。
というか、同じパターンだ。
これらは、つくられた時代や設計者が同じと考えるのが自然だ。

「筑紫火君」に関わるものなのだろうか。

とても重要な意味がある気がする。
るなさんの考えを訊いてみたい。


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by furutsuki_oto | 2016-02-02 01:38 | ドラゴンカーブ | Comments(0)

六嶽周辺の五芒星 5  剣塚古墳-竹原古墳付近

六嶽周辺の五芒星 5
剣塚古墳-竹原古墳付近



今回紹介するのは、宮若市の剣塚古墳、竹原古墳の周辺の五芒星である。

竹原古墳の彩色石室はあまりに有名。
ひもろぎ逍遥 竹原古墳」でも紹介されているので、古墳の紹介はそちらを見てほしい。



五芒星の大きさは、神崎-新延のと同じである。
五芒星の幾何学から、左肩のくぼみ、中央、右足付根が神聖であると
推測したが、まさにその典型例でもある。

ただ、竹原古墳はどちらの五芒星で決定されているのか、
曖昧な場所である。断層ズレの直後の時代だったのだろうか。


今回ひいた五芒星にのらない神社もたくさんある。

・支配者の変化による別の大域パターンに関わるか
・タイリングパターンが見つかるか

あとの解析が楽しみな場所である。


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by furutsuki_oto | 2016-02-01 00:05 | 六嶽周辺の五芒星 | Comments(0)

天の基準点

天の基準点
2016年1月30日

先日、「大地に刻まれた時計」で、時計のない時代から意外にも
精密な天文観測が行われていたこと、黄道と赤道の区別がついて
いて、星を使って正確な時刻を把握していたことを述べた。

しかし、毎日真東から昇る星を時計の「針」とするには、天の
基準点と星図(もはくは基準点との時間差を確定する星表)が必要
である。

古来よりおとめ座のスピカは、春を代表する1等星として知られ
ている。秋分点に近いところにあるために、春分の太陽が沈む頃
に スピカが ほぼ真東の空に輝く。そのため、スピカには 麦の
刈り入れを知らせる星として「麦星」との名もある。

スピカが秋分点の近くにあると述べたが、より正確には、秋分点は
スピカの西方約24°に移動してしまっている。
しかし、1700年ほど前はほぼぴったり秋分点であった。


もうひとつの天の基準の採り方は、春分点である。
実際、現代の星図は、春分点を天の赤道の経度の基準点としている。

春分点とは、太陽の通り道である「黄道」と、恒星が真東から
上り真西へ沈むラインである天の「赤道」の交点にあたる。

昼と夜の長さが等しくなる春の彼岸の中日に太陽が居る方角が春分点
である。


前回も少し言及したが、春分点は黄道上を少しずつ西へとズレていく。
より具体的には、約2万5800年で黄道を一周する。


現在の春分点は「うお座」にあるが、2000年前には牡羊座にあった。
その痕跡は、西洋占星術に残されている。
日本で一般的なTropical式西洋占星術はは牡羊座を基準にとる。

今より4000年前(BC2000頃)には、春分点は牡牛座のアルデバランと
昴(すばる)の中間ほどにあった。、
アルデバランは、牡牛座の眼にあたる赤い1等星である。
昴(すばる)は、八乙女ぼしともいう(西洋ではプレアデス星団という)。

昴の明るい星は七つしか見当たらないが、八乙女のうちの一人は、
天から落ちたので、七人になったと伝えられている。

日の出前の昴(プレアデス)を種まきの準備の目印にしていたという
言い伝えは世界各地に残る。


BC2000年といえば、ヒッタイト人がアナトリアで鉄器を作っていた
時代である。

バビロニアの占星術に起源をもつというSidereal式の占星術では、
牡牛座をサインの基準にとる。

この頃の春分点は、おもしろいことに全天一明るいシリウスと、
オリオンの三つ星とを結ぶ線の延長上にある。きれいに一直線に
ならぶ。三つ星の中星がちょうど中間にくる。

そして三つ星の中星とシリウスの経度差がちょうど18°の関係に
ある。これは金星の五芒星の天を5の倍数に分ける考え方にとって
都合がよい。

a0351692_22553210.png


一方、バビロニア人は、60進法を発明し、星が15°進むのを60分
として、一日を 24時間にわけた。

六嶽の周囲に五芒星のパターンを展開した人たちの流儀は、
バビロニア人の流儀とは異なっていたようだ。
金星の動きとシリウス-三つ星 に由来すると思われる18°分割を
徹底して採用している。


シリウス-三つ星-春分点の一直線の関係は、紀元頃までには通用
しなくなってくるが、

・牡羊座や魚座に明るい一等星がなかったことと、
・三つ星が天の赤道上にきたこと
・シリウスと三つ星の間の角が 15°や18°の目安となったこと

から、三つ星は海の民にその後も信仰されていったようだ。



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by furutsuki_oto | 2016-01-30 23:04 | 大地に刻まれた時計 | Comments(0)

大地に刻まれた時計


大地に刻まれた時計

2016年1月29日

古代の「星読みの民」は天の星から正確な時刻を知る術(すべ)を
知っていた。

天の星を「針」に、大地に刻まれた目盛りを「時計盤」にして時刻を
知る方法について説明しよう。

星図がしっかりと出来上がれば、地上の目印を針に、星空を時計盤
にすることもできるが、まずは、天の星を「針」に大地に刻まれた
目盛りを「時計盤」にする方法から説明することにする。

「針」は毎日違う星を採用する。毎日、真東から昇る3等星以上の
明るい星を「針」として採用する。これは、黄道と赤道が傾いて
いるためだ。

赤道から遠い星を採用すると、季節によって(また時間帯によって)
時計の進み方が変わってしまう。 
だからその日に真東から昇る星を時計の針に採用する。
星占術が、日々真東から昇る星を重視するのも同じ理由だ。

五芒星を大地に刻めば、 180°÷ 5 = 36° 毎の目盛りができる。
そして、真東から昇る「星」を針に、この目盛りを時計盤にすれば、
大まかな時間を知ることができる。

目盛りが精密になれば、読み取れる時刻も精密になる。

毎日違う星を針にするから、天に基準を決めて、個々の星の基準から
の角度を知っておく必要がある。

天の基準点としては、明るくて、春分点もしくは秋分点に近い星が
望ましい。 春分点と秋分点で天の赤道と黄道は交差するからだ。

うってつけの星がある。「スピカ」だ。
スピカは「秋分点」のすぐ近くにある一等星である。

星空を見上げてスピカを見つける簡単な方法は、春の夜に北斗七星
の取っ手の部分からうしかい座のアークトゥールスまでの長さを同じ
分だけ伸ばしてみる。スピカはそこにある。

なお、この線のことを天文同好家は「春の大曲線」と呼ぶ。
春の大曲線は、北斗七星(北辰)が支配している。

スピカが秋分点に近いことは、人類は古くから知っていた。
テーベの神殿は紀元前3200年前に建てられた時、スピカの方向を
向いていた。

紀元前150年頃のギリシャの天文学者ヒッパルコスは、黄経180度、
黄緯0度にほぼ近い位置にあるおとめ座のスピカを使い、皆既月食の
時に月とスピカの角距離を測った。

日食や月食は黄道と白道の交点でしか起こらないので、日食・月食時
の月や太陽は必ず黄道上にいる。したがって、この皆既月食時の月と
スピカとの角距離は、そのままスピカと月または太陽の黄経の差となる。

ヒッパルコスはこの黄経の差を、彼の時代より約150年前(BC300年頃)
のティモカリスが作った星表と比較して黄経の値が変わっていること
を発見した。

彼はスピカ以外の恒星についても同様にズレていることを見つけ、
このズレは黄経の基準である春分点自体が移動しているためであると
結論した。

紀元前100年頃には、ギリシャ周辺の海の民も、スピカが秋分点に
極めて近いことのみならず、春分点・秋分点が僅かずつ移動している
ことまで知っていた。

さて、「ドラゴンカーブ 2」 で紹介したパターンは、更に巧妙に、
次の図に示すように、4.5°ずつの目盛りを大地に刻んでいる。

a0351692_23173926.png

24(時間)×60分÷360°×4.5°= 18分

つまり、天に見えている恒星は、18分毎にこの目盛りを
ひとつずつ進む。

遠くの隣接する2点の間を目分量で六分割することは簡単
だから、当時、この目盛りを用いれば、時刻にして
18分間÷6 = 3分間 の精度 (角度にして 0.75°の精度)で
天体現象を観測できたことになる。

この目盛りが大地に刻まれた当時、角度にして 最悪でも
0.75°以上の精度で天文現象を把握していただろうことは
想像に難くない。

太陽と月の視直径は 約0.5° なので、皆既日食を予言して
いたとするならば、少なくとも0.2° 程度の分解能で天文
現象を観察していたはずで、そのための観測装置があって
しかるべきである。

先日の「ドラゴンカーブ 2 鷹ノ口おだ山」と比べてみよう。

a0351692_10382203.png


古代の星の民たちは、我々が古代に対して持っている印象
(先入観)よりもずっと高い精度で星を観ていた。

長くなったので今日の所はいったん話を区切ることにする。

読者の皆さんの頭の中には、

 ・毎日かわる「針」の位置の違いからくる時間差は
  どうやって知るの?

 ・夜は星が時計になることは解ったかったけど、
  昼間はどうやるの?

 ・金星は? シリウスは? オリオンは?

という疑問がでていることと思う。
次回以降、それらについても追々説明してゆこうと思う。


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by furutsuki_oto | 2016-01-29 23:09 | 大地に刻まれた時計 | Comments(0)

六嶽周辺の五芒星 4  福智上野

六嶽周辺の五芒星 4

福智上野

2016年1月28日

六嶽周辺の五芒星をひとつづつ見ていく話にもどることにする。
今回は、福智町上野から直方市下境あたりにかけての五芒星です。

a0351692_19084629.png


これもやはり新延の五芒星と同じ大きさです。ただし、この五芒星とは
関係ない神社も数あります。 また、真ん中を川が貫いており、現在では、
北からも南からもゴルフ場となってしまっています。
昔は集落があったのでしょうか。

この五芒星は、集落の時計というよりは、結界のためのようです。


勘の良い方はもうお気づきでしょう。これまで見てきた五芒星と
あといくつか発見済の五芒星を並べてみますと、八つの五芒星が、
亀丘の劔神社を中心に六嶽をぐるりと囲んでいるのがわかりました。

a0351692_19494412.png


これにはどんな意味があるのでしょう。
今回の図には記していませんが、環の中には三条のらせんがあり、
あたかも六嶽の神紋のようです。

ただ、見つかった環は八つの星からなります。
六嶽の神紋の星の数は九つでした。 またひとつ謎が出てきました。

なお、断層によるズレはなく、最初に見つけたドラゴンカーブに
比べると新しいようです。


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by furutsuki_oto | 2016-01-28 21:02 | 六嶽周辺の五芒星 | Comments(0)
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古月 乙彦 のブログ  神社とか星とか 古代のロマン.    Since 2016.1.22


by 古月 乙彦(ふるつき おとひこ)
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