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雲龍図(妙心寺)

雲龍図(妙心寺)


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妙心寺の雲龍図を見に行ってきました。知人の京都観光のご案内です。訪れるのは二度目ですが、この龍の姿には圧倒されます。撮影禁止なので、この写真はいただいたパンフから編集したものです。

龍は仏教を守護する八部衆でもあり「龍神」とも。法堂に描かれるのは、法堂は仏法を大衆に説く場所であり、龍が法の雨(仏法の教え)を降らすという意味なのだそうです。

この龍の姿は、都(みやこ)を取巻いて守護する姿であるとも伝わっているとか・・・。
(今回は、これが私には 嵐山-嵯峨野のドラゴンカーブ と重なってみえました。)

妙心寺には飛鳥時代につくられた梵鐘があり、「戊戌年四月十三日壬寅収糟屋評造舂米連廣國杜寿鍾」の銘あります。現存する日本最古の梵鐘である福岡県太宰府市(筑前国糟屋郡多々良)の観世音寺の梵鐘にそっくりで兄弟鐘と言われています。当時、糟屋郡多々良が金属加工の先進地だったのですね。また、平安京となる以前から筑前と山背に強い結びつきがあったことが判ります。


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by furutsuki_oto | 2016-07-03 09:57 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(0)

ドラゴンカーブ4  嵐山-嵯峨野

ドラゴンカーブ 4
嵐山-嵯峨野


鷹ノ口おだ山で見つけた「大地に刻まれた時計」としてのドラゴンカーブは、筑紫火の君つながりで「阿蘇」にも見つかりましたが、「おほ」繋がりであるなら京都の嵐山近辺にもあるはずだと探してみました。

道路に五芒星の角度が残っているので意外にあっさりと見つかります。しかし徐々に東へ遷りながら何度も作られたようで、候補がいくつも見つかって困ってしまいました。それで今日は、遍照寺山 を頂点とするパターンだけをまずご紹介しようと思います。

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図中の字が小さくなってしまいますが、見えますか?
水色の小丸は、交差点がバッチリ一致しているところです。
秦氏に関連しているといわれる神社や遺跡、阿刀氏の山背における初期の拠点、そして近隣の小学校が見事にのってきます。
先日ブラタモリの京都の回で紹介されていた断層崖も利用されていますね。
松尾大社は、松尾山から降ろされていますね。言い伝え通りです。

鷹ノ口おだ山と同じパターンです。観測線が刻まれています。
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気づきました!? 一見規則性がないように思える現在の京都の東西の通りの間隔、ドラゴンカーブの五芒星によって決定されています。


ここで、頂点になっている遍照寺山について少し説明しておきます。

遍照寺は、広沢池近くにある真言宗御室派準別格本山です。本尊は十一面観音、真言宗広沢流発祥の寺院として知られます。 遍照寺山は、観月の名所として知られる広沢池の北面にある山で、広沢池に映る姿が美しく嵯峨富士ともいわれます。遍照寺も元は遍照寺山にあったといいます。 

広沢池は、嵯峨野を開拓した渡来系氏族・秦氏の支族により開削されたと伝わっています。 往古の遍照寺には月見堂があったといいますし、このドラゴンカーブで正確な時刻が計れるようになっていますから、もともと月や星を精密観測する拠点だったのではないでしょうか。

南正面から見た遍照寺山は、ピラミッドか飯盛山かという形をしています。

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by furutsuki_oto | 2016-05-09 07:20 | ドラゴンカーブ | Comments(4)

星読みの暦

星読の暦

「ひもろぎ逍遥」で紹介された鞍手の「星読みの民」、
ここでは単に「星読」と呼ぶことにする。

「星読」は、「地に刻まれた時計盤」を使って、その日に真東
から昇る星や 東方最大離角にある金星から正確な時刻を読み
取る技をもっていた。

「星読」は、五芒星をタイリングしたドラゴンカーブを使って
精密観測を行っていた。

今日は、そこから推定される「星読の暦」について考えてみよう。


しかし、その前に太白の暦をざっと理解しておく必要がある。

太白の動きを知る人たちは、太白が天に留まる5つのポイントが
あって、その星座で季節が知れること、これを地上に写した
五芒星を描くことで星から時刻が知れることを知っていた。

彼らは地上に刻んだ五芒星を使って、見えている天(黄道)を
天頂基準の10の区分に分けた。

天には、見えている天(つまり「陽」)と見えていない天
(つまり「陰」)がある。従って、一日は、五芒星を使って
20の刻(とき)に分けられた。

1刻を表す20分画のひと目盛りは、360°÷ 20 = 18°である。
この1刻で星は18°動く。シリウスと三ツ星の経度に相当する。

太白が宿る5つの宮は、五惑星に結び付けて色が充てられた。

ここで、五惑星は すなわち、土星、木星、火星、金星、水星
である。(ここでは、地上から見える最大角速度が遅い順に
ならべた。五行の並びとは違うので注意)

これに対応する五色は、蒼(青)、黄、朱(赤)、白、玄(黒)である。
まんま星の色である(水星が黒なのは、日面通過のとき最もその
存在を示すから)。

太白の暦は、一日を 20の刻に分け、ひとつの五芒星でその刻を
よみとった。20を数詞で表すのも象形で表すのも大変なので、
五色と四獣だったかもしれない。十刻と陰陽だったのかもしれない。
いずれにせよ、一日を20の刻に分けた。


太白の暦の利点は、空がせまい谷でも利用できることである。
ただ、黄道を見ていた点において、大雑把な時間把握だったと
思われる。


さてようやく「星読の暦」の説明に入る準備ができた。

まず、「星読」は黄道と赤道の区別がついており、正確な時間を
測るためには、赤道上の星を使うべきであることを知っていた。

また、五芒星をタイリングしたドラゴンカーブで、精密観測を
行っていた。

鷹ノ口おだ山のドラゴンカーブは、4.5°刻みの目盛りを刻んで
いた。これは、赤道を80分割する目盛りである。

80分割には陰陽と八方位そして五色の考え方を使ったと思われる。
4.5°の目盛りからは、45°ずつの方位も出てくるのである。

彼らは恐らく見えている南天を東の空と西の空に分けて考え、
それを五芒星に内在する角度から出てくる五色で更に5分割して、
一日を20の刻に分けた。20の刻は太白暦の継承でもある。

鷹ノ口おだ山のドラゴンカーブは、これを更に四分割する4.5目盛り
を与えてくれる。そして読み取りに際し、さらに6分割することで
時間分解能3分の時計を実現していた。

「星読」は、赤道上を動く星を精密観測していたのだ。

彼らはまた、シリウスや8年で5回の東方最大離角をとる金星を
精密観測し、一年が 365.25日 であることを知っていた。

知っていたうえで、周辺の首長たちの召集には太陰暦を用いた。
すなわち、月が無い朔が「ついたち」、三日月が「三日」、
十五夜が十五日という月の形を見れば何日かわかるという方法だ。
星読みは、朔日に首長たちを召集し、うるう月や種まきの旬を
告知した。


鷹ノ口おだ山から見える帆柱山・金剛山・福智山との角度から
判ることだが、彼らは、19年毎のスーパームーンを観測していた。

何のためか。一朔望月は 29.530589日なので、月の満ち欠けだけ
で日にちを決めるやり方だけを押し通すと季節とのズレが激しく
なる。そこで19年に7回の閏月を入れる太陰太陽暦に改良した。

19年に7回閏月入れると、19×12+7で235朔望月である。
これなら19年が6939.688日となる。19太陽年の6936.280日と
極めて近い。
このやり方は、ギリシャでは紀元前433年には知られていた。

「星読」は、現代にも通じる正確な時刻を知る術と太白の動き
から精密化した太陽太陰暦をもっていた。

以上が、星読の暦について、彼らの観測装置から推定したこと
である。


次回は、月の位置から時刻を読み取る方法を編み出した
「月守の暦」を予定しています。


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by furutsuki_oto | 2016-02-07 12:03 | 大地に刻まれた時計 | Comments(0)

ドラゴンカーブ 3  阿蘇

ドラゴンカーブ 3
阿蘇


「ひもろぎ逍遥」での「鷹ノ口おだ山」に関連する記事を
読み返してみると、るなさんは、再三にわたり「阿蘇」との
対比に言及している。

そこで、阿蘇神社周辺でドラゴンカーブを探してみた。
すると、あっさり見つかった。

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鞍手の「鷹ノ口おだ山」の北(鞍手中央公民館辺り)を
観測点とするドラゴンカーブと全く同じパターンに
ビッタリ重なる。
(「ドラゴンカーブ 2 鷹ノ口おだ山」を参照)

「小倉菅原神社」を「観測点」とするドラゴンカーブだ。

大地に刻まれた時計」に書いたように、このカーブは、
4.5°ずつの目盛りを刻んでいる。3分以上の精度の精密な
時計だ。 見渡す先には阿蘇山の噴火口がある。
阿蘇の噴火の頻度やタイミングを精密観測していたのだろう。


しかし、「鷹ノ口おだ山」のドラゴンカーブにそっくりだ。
というか、同じパターンだ。
これらは、つくられた時代や設計者が同じと考えるのが自然だ。

「筑紫火君」に関わるものなのだろうか。

とても重要な意味がある気がする。
るなさんの考えを訊いてみたい。


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by furutsuki_oto | 2016-02-02 01:38 | ドラゴンカーブ | Comments(0)

大地に刻まれた時計


大地に刻まれた時計

2016年1月29日

古代の「星読みの民」は天の星から正確な時刻を知る術(すべ)を
知っていた。

天の星を「針」に、大地に刻まれた目盛りを「時計盤」にして時刻を
知る方法について説明しよう。

星図がしっかりと出来上がれば、地上の目印を針に、星空を時計盤
にすることもできるが、まずは、天の星を「針」に大地に刻まれた
目盛りを「時計盤」にする方法から説明することにする。

「針」は毎日違う星を採用する。毎日、真東から昇る3等星以上の
明るい星を「針」として採用する。これは、黄道と赤道が傾いて
いるためだ。

赤道から遠い星を採用すると、季節によって(また時間帯によって)
時計の進み方が変わってしまう。 
だからその日に真東から昇る星を時計の針に採用する。
星占術が、日々真東から昇る星を重視するのも同じ理由だ。

五芒星を大地に刻めば、 180°÷ 5 = 36° 毎の目盛りができる。
そして、真東から昇る「星」を針に、この目盛りを時計盤にすれば、
大まかな時間を知ることができる。

目盛りが精密になれば、読み取れる時刻も精密になる。

毎日違う星を針にするから、天に基準を決めて、個々の星の基準から
の角度を知っておく必要がある。

天の基準点としては、明るくて、春分点もしくは秋分点に近い星が
望ましい。 春分点と秋分点で天の赤道と黄道は交差するからだ。

うってつけの星がある。「スピカ」だ。
スピカは「秋分点」のすぐ近くにある一等星である。

星空を見上げてスピカを見つける簡単な方法は、春の夜に北斗七星
の取っ手の部分からうしかい座のアークトゥールスまでの長さを同じ
分だけ伸ばしてみる。スピカはそこにある。

なお、この線のことを天文同好家は「春の大曲線」と呼ぶ。
春の大曲線は、北斗七星(北辰)が支配している。

スピカが秋分点に近いことは、人類は古くから知っていた。
テーベの神殿は紀元前3200年前に建てられた時、スピカの方向を
向いていた。

紀元前150年頃のギリシャの天文学者ヒッパルコスは、黄経180度、
黄緯0度にほぼ近い位置にあるおとめ座のスピカを使い、皆既月食の
時に月とスピカの角距離を測った。

日食や月食は黄道と白道の交点でしか起こらないので、日食・月食時
の月や太陽は必ず黄道上にいる。したがって、この皆既月食時の月と
スピカとの角距離は、そのままスピカと月または太陽の黄経の差となる。

ヒッパルコスはこの黄経の差を、彼の時代より約150年前(BC300年頃)
のティモカリスが作った星表と比較して黄経の値が変わっていること
を発見した。

彼はスピカ以外の恒星についても同様にズレていることを見つけ、
このズレは黄経の基準である春分点自体が移動しているためであると
結論した。

紀元前100年頃には、ギリシャ周辺の海の民も、スピカが秋分点に
極めて近いことのみならず、春分点・秋分点が僅かずつ移動している
ことまで知っていた。

さて、「ドラゴンカーブ 2」 で紹介したパターンは、更に巧妙に、
次の図に示すように、4.5°ずつの目盛りを大地に刻んでいる。

a0351692_23173926.png

24(時間)×60分÷360°×4.5°= 18分

つまり、天に見えている恒星は、18分毎にこの目盛りを
ひとつずつ進む。

遠くの隣接する2点の間を目分量で六分割することは簡単
だから、当時、この目盛りを用いれば、時刻にして
18分間÷6 = 3分間 の精度 (角度にして 0.75°の精度)で
天体現象を観測できたことになる。

この目盛りが大地に刻まれた当時、角度にして 最悪でも
0.75°以上の精度で天文現象を把握していただろうことは
想像に難くない。

太陽と月の視直径は 約0.5° なので、皆既日食を予言して
いたとするならば、少なくとも0.2° 程度の分解能で天文
現象を観察していたはずで、そのための観測装置があって
しかるべきである。

先日の「ドラゴンカーブ 2 鷹ノ口おだ山」と比べてみよう。

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古代の星の民たちは、我々が古代に対して持っている印象
(先入観)よりもずっと高い精度で星を観ていた。

長くなったので今日の所はいったん話を区切ることにする。

読者の皆さんの頭の中には、

 ・毎日かわる「針」の位置の違いからくる時間差は
  どうやって知るの?

 ・夜は星が時計になることは解ったかったけど、
  昼間はどうやるの?

 ・金星は? シリウスは? オリオンは?

という疑問がでていることと思う。
次回以降、それらについても追々説明してゆこうと思う。


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by furutsuki_oto | 2016-01-29 23:09 | 大地に刻まれた時計 | Comments(0)

ドラゴンカーブ 2  鷹ノ口おだ山

ドラゴンカーブ 2

鷹ノ口おだ山


 「ひもろぎ逍遥 脇巫女39 ターゲット」 の方で、「鷹ノ口おだ山」の
「禁足地」探しが急展開を見せている。「御剣王の聖地」とは別のようである。

そこで、「鷹ノ口おだ山」の周辺を見直したところ、最初に見つけたドラゴン
カーブとは異なる時代の異なる形式 の ドラゴンカーブ が見つかった。
これはすごい!

予定を変更して先にこの話を書くことにする。

次の図を見てほしい。

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きれいなフィボナッチ数列による五芒星のタイリングがドラゴンカーブを
成している。


なんと、このドラゴンカーブは「鷹ノ口おだ山」と「剣岳」の近隣の神社の
配置を説明しつくす。

ただし、六嶽神社、十六神社、貴船神社は排除される。 亀丘にも届かない。

なんだろうこれは。 「六」を排除しているのだろうか。「八」はしっかり
組み込まれている。 これだけ今ある神社にマッチするということは、
きっと数あるパターンの中でも最も新しい部類なんだろう。



「六」を排斥して「八」が支配した時代があった。
そういうことなんだろうか。今もそうなんだろうか。


代行寺の前の池に収束しているが、そこには「古くは高楼があった」という。
いかんせん、聞いたのが子供の頃なので正確な地点が不明である。時代背景
もわからない。どなたか知っていたら教えてほしい。


今回、これまた驚きの結果となった。古代の意思は地に刻まれている。
少しは「鷹ノ口おだ山」の謎解きの役に立つかな?



と、ここまで書いたところで、1975年の航空写真を入手した。


なにか見えるぞ。

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先述のドラゴンカーブと重ねてみたものが右の絵である。
おぉっすごい。 完全に一致。 感動ものだ。

いちばん下の五芒星は、「ドラゴンカーブ 1」で示した断層ずれ前のドラゴン
カーブの一部である。つまり古いものである。
作ったのは「三」の人達か、「六」の人達か。そして、「御剣王の聖地」に関わっている。


上2つの五芒星が(おそらく「八」の人達によって) 後から作られた(もしくは塗り替えた)ものだろう。

この写真一枚で、

・鷹ノ口おだ山が「六」の人達の頃から聖なる場所であったこと、
・後の時代に(たぶん「八」の人達によって)塗り替えられたこと、
・「五芒星」は実在すること、

いっぺんに証明できてしまった。


新しいドラゴンカーブを見つけた直後に この写真が届けられたのは、
なんというシンクロニシティ。

近頃 不思議なことが続いています。 (^^)V  鳥肌ものです。

写真に ○を付けた場所は、全て神社だったのだろう。今はもう祀られて
いない可能性が高い。

で、禁足地はどこ? 写真で簡単に判るってことはないだろう。だって
隠したいんだから。

写真に描き入れた三つの五芒星の一番うえの分の右足の付け根(中点)
部分、ここは印をつけてないけれど、遺跡があったりするかも。


すごいな 鞍手。



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by furutsuki_oto | 2016-01-26 18:58 | ドラゴンカーブ | Comments(4)

ドラゴンカーブ 1  六ケ岳を取巻く龍の曲線

ドラゴンカーブ 1

六ケ岳を取巻く龍の曲線

2016年1月26日

いよいよ広域パターンを紹介していこう。
今回紹介するのは、六ケ岳を取巻く 龍の曲線 (ドラゴンカーブ) である。
見つけたのは、1月6日。 「龍が出ました」と るなさんにメールして
大騒ぎしていました。

きっかけは、五芒星をみた るなさんが 「炎の聖三角形」を想い起こして
「フィボナッチ」と一言いってくれたこと。

「フィボナッチ数列なら五角形にも内在しますよ。探してみましょう。」
というわけで探してみたら、あっさりと見つかりました。 

むしろ、説明用に図を描くのが大変。

以下は、後日きれいに描き直した図


サイズと配置がフィボナッチ数列になっている。

この時悩んだのが、途中で一回 軸がズレ、そのあと五芒星が二重写し
のようになっていること。

その後、ほかにも同じパターンのドラゴンカーブをいくつか見つけ、
同じようにある境界を越えると二重写しのようになってしまうのを
発見して、横ずれ断層であろうと結論づけた。

もともと黄色い五芒星のドラゴンカーブがあって、断層の横ずれが
起き、のちに白い五芒星を修復したように解釈できる。

そうすると、「六嶽神社」を置き換えたのが 「十六神社」という
ことになる。 また、「春日神社」 は古く、「貴船神社」はもう少し
新しいということになる(比較の問題でありそれでも相当古いのだが)。


このあと、いろいろなことが判っていく。 少しずつご紹介して
いきます。 お楽しみに。

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by furutsuki_oto | 2016-01-26 01:18 | ドラゴンカーブ | Comments(0)
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古月 乙彦 のブログ  神社とか星とか 古代のロマン.    Since 2016.1.22


by 古月 乙彦(ふるつき おとひこ)
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