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皿倉(日枝)-中山 ライン


皿倉(日枝)-中山 ライン

中山寺 (宝塚市)」の話題の折に、比叡山(日枝山)-中山寺-六甲山 のラインを紹介しました。夏至日出-冬至日没線であり、天香香背男=天手力男意気続々流住吉大神や松尾大神に関連するラインでした。

はて、日枝と中山、遠賀川水系にもあったような・・松尾大神も筑紫胸形坐中部大神だし・・というわけで、遠賀川水系で対応するラインを探してみました。 もうひとつの 日枝-中山ラインです。

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北九州市八幡東区に「山王(さんのう)」という地名があります。山王信仰が根付いている土地です。皿倉山を日枝山として崇めます。山王の南に石鎚神社があります。山王の北には、大宮、枝光の地名があります(枝光八幡宮のご祭神は武御名方命)。皿倉山は、古来、山伏が修行の場としてきた山で、現在でも皿倉山から英彦山までの山道を3日間掛けて歩く修行などが行われています。皿倉の名称は、神功皇后以降との伝承です。

その皿倉山から鞍手の中山(剣岳, 御山)まで 夏至日出-冬至日没線 が引けます。ライン上に、山神宮、梅咲天満宮、鷹ノ口おだ山、熱田神社などがあります。延長していくと竹原古墳に至ります。筑紫の加茂も近いですね。 それから中間市辺りは、古代は胸形です。 何を表しているのか詳細は不明ですが、なんとなく意味深げなラインです。

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# by furutsuki_oto | 2017-01-29 12:32 | 鞍手・宗像 | Comments(6)

中山寺 (宝塚市)

中山寺 (宝塚市)
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宝塚市中山寺(元は摂津国川辺郡中山寺村)にある真言宗中山寺派大本山で、地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれているお寺です。ご本尊は十一面観世音菩薩。寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場です。もとの川辺郡の名に残る 川辺 は、秦氏の中心氏族の一つですね。中山という山が背後にあり、山麓にある中山寺奥之院には厄神明王が祀られています。

8月9日の夜に西国三十三所の観音が星に乗って中山寺本堂に集まるとされ、星下り大会式が行われます。

また、中山寺の境内に 中山寺古墳(白鳥塚古墳)があります。14代仲哀天皇の后「大仲姫」の墳墓とされており、内部には石棺が残されています。

六甲山から比叡山まで 中山寺-鎌倉神社-松尾神社-松尾大社 を通るラインが引けます。
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これは平安京の 夏至日出-冬至日没線 にもなっています。

ライン上の住吉神社はどう関係するのかなと思ったのですが、住吉大社神代記によると「天手力男意気続々流住吉大神」とあり、住吉明神は 天手力男=天香香背男 のようです。

ラインが比叡山 山頂より少し北を指しています。そこにあるのは 神蔵山 (鎌倉山)のようです。

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# by furutsuki_oto | 2017-01-14 14:11 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(1)

京都の水気三合の帝旺


京都の水気三合の帝旺
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「火気三合からみる平安京」を紹介したところ、まーりんさんから「水局(水気三合)の帝旺は何?」という宿題をいただきました。 私も平安京の水気三合で気になっていたことがありました。 北の大将軍は 秋葉神社だと思っていたのに朱雀大路からは結構ズレるのです。また、月輪寺からも明らかに外れでいたのでした。

「北を指す別の三角形があったりして。…」とまーりんさんが書いていらっしゃいましたが、私もそんな気がしていました。 それで、秋葉神社と月輪寺を必要条件として逆に水気三合の中心を求めてみましたところ、そこには花園大学がありました。 (花園大学は、妙心寺の学寮がもとになった臨済宗立の仏教系大学です。)

子午線は、秋葉神社と久我神社を通ります。これはもしかして久我國の残滓!?

そして水局の帝旺は、雲ヶ畑の「式内厳島神社」でした。 
そこは水源で、絶景の地でもあり、条件はバッチリです。

しかし、式内厳島神社と改称されたのは1868年、神仏分離令後のことのようで、『延喜式』には、明神大社 「天津石門別雅姫(あまついわとわけわかひめ)神社」とあります。本社裏山に、二つの石門岩があって、天津石門別雅姫が降臨したと伝えられています。 天津石門別雅姫は、記紀には無いお名前です。

奈良の天津石門別神社のご祭神が天手力男命であることから、天津石門別神は、手力男命=天香香背男のことでしょう。そうすると、天津石門別雅姫は天香香背男の娘姫ということになるのでしょうか。ここでも久我國との関係が感じられます。

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# by furutsuki_oto | 2017-01-08 23:07 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(6)

劔神社 倉師大明神(直方市亀丘)


劔神社 倉師大明神(直方市亀丘)
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久しぶりに、鞍手周辺の神社をご紹介します。鞍手町と直方市と宮若市の境「六ヶ嶽(むつがたけ)」の東の山麓の亀丘(かめおか)に鎮座しています「劔神社」です。(当ブログでは、京都府の「亀岡」がよく出てきますが、今日は 旧 鞍手郡 の「亀丘」です。なお、写真は、2015年末に撮影したものです。)

劔神社由緒によれば、往古は「倉師大明神 (くらじだいみょうじん)」と称えられ、六ヶ嶽の東嶺「天上嶽」に鎮座されていたといいます。六ヶ嶽というと、紀元前700年の頃に比売大神(宗像三女神)が降臨したと伝えられている山です。

劔神社の祭祀の始祖は、筑紫の国造「田道命(たみちのみこと)」(考元天皇の五世の孫)で、筑紫物部を率いて神々を祀るとあり、田道命の橘孫「長田彦」が神官となりました。室町時代に入って足利義満(あしかが よしみつ)は、高向兵部卿良舜を奉行とし社殿を造営し奉りました。

戦国時代には、六ヶ嶽の支峰である龍ヶ岳にあったといいます。龍ヶ嶽城の城主杉氏は、同社を 粥田莊(遠賀・鞍手・嘉麻3ヶ郡にわたる荘園の)鎮守の宗社として崇敬し、社殿を紫竹原に遷座造営し、熱田神宮より日本武尊を相殿に奉祀して「八劔大神」と称えられました。江戸時代に黒田家により現在の「亀丘」に遷されたといいます。現在の社殿は、直方藩主・黒田長清が再造営したものです。

御祭神は、 
・伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ) 
・伊邪那美大神(いざなみのおほかみ) 
・日本武尊(やまとたけるのみこと) 
・石拆神(いはさくのかみ) 
・根拆神(ねさくのかみ) 
・石筒之男神(いはつつのをのかみ) 
・甕速日神(みかはやひのかみ) 
・樋速日神(ひはやひのかみ) 
・建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ) 
・闇淤加美神(くらおかみのかみ) 
・闇御津羽神(くらみつはのかみ)

「みつは」は 映画「君の名は」で 水神であることが広く知られるようになりましたね(笑)。瀬織津姫(せおりつひめ)が隠されています(と私的には思っています)。瀬織津姫は、瀧の神・河の神でもあり、また祓戸四神の一柱で災厄抜除の女神です。

伊邪那岐尊は、ここから冬至日出線方向の直方市の多賀神社に鎮座されています。直方市の多賀神社は、往古、日若の宮と称えられましたが、多賀神社伝わる日若踊りでは、「豊かな国、筑紫の島根、この島の比古と宇麻美の河合の小高い山根を見て、ここがよい、ここがふさわしいと立ち寄って倉戸を造られた。」ということです。ここに出てくる比古と宇麻美とは、多賀神社の南方にみえる英彦山(ひこさん)と馬見山(うまみやま)のことです。(直方市の)多賀は弥生前期まで淡海(汽水)のほとりの岬でした。多賀神社の冬至日没線方向には饒速日降臨の笠置山があります。

で、倉師大明神はというと、記紀に出てくる 高倉下(たかくらじ) つまり 鞍橋君(くらじのきみ)のことです。高倉下をお祀りする神社としては、三重県伊賀市の高倉神社が全国的に有名ですが、そちらは高倉下命の七代の後の子孫である倭得玉彦命が移り住んで高倉下命を祖神として祭祀した事を起源としたものです。 この六ヶ嶽山麓の 倉師大明神は、鞍手を本願地とされていた鞍橋君(くらじのきみ)を祀るもので、「鞍手」の地名の起源そのものが鞍橋君にあるという内容を 国学者 伊藤常足 が太宰管内誌で言及されております。

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# by furutsuki_oto | 2017-01-08 11:26 | 鞍手・宗像 | Comments(0)

火気三合からみる平安京

火気三合からみる平安京

2013年に曽我とも子さんという方が「陰陽五行思想における三合の考察 ―平安京にみる三合―」という論文を書かれています。桓武天皇は 火徳の天皇 であり、平安京には桓武天皇の守護を祈願したる「火気三合」による呪術が施されていると主張されております。(ここでは「火気三合」の説明は省きます。曽我さんの論文をご覧ください。)

初期平安京の太極殿を中心として、比叡山、愛宕山、横大路朱雀という3地点を結ぶと、平安京をすっぽりと囲む大三角形が形成されるというのです。さっそく衛星画像をもとに作図してみました。
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三角形の中心線は、朱雀大路(今の千本通り)にぴったり一致します。なるほど、横大路朱雀の小字は、意図的につけられたという感じです。「火気三合」による呪術の中心は、太極殿 になります。愛宕山の方位は、愛宕山山頂ではなく神護寺です。 ひとつ気づいたのですが、大原野外畑町の松尾神社が太極殿から見た冬至日没線上にあります。ここも行ってみないといけませんね。

あと、賀茂川と高野川の合流点が 糺ノ森 (ただすのもり) というのに対して、朱雀大路を中心として対称位置にある木嶋神社(蚕ノ社)は 元糺 (もとただす) と言われています。木島神社は、あの三柱鳥居 (みはしらとりい)のある社です。この対称性も狙ったものなんでしょうね、きっと。

大将軍八神社を中心軸とする大将軍のラインとは若干ズレていますが、「火気三合による呪術」としては 太極殿 が中心のようです。



京都市の市章と似ているという話もあるので、参考までに載せておきます。

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福知山市の市章の方がもっと似ているということなので、そちらも載せておきます。

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# by furutsuki_oto | 2017-01-03 00:08 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(2)
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古月 乙彦 のブログ  神社とか星とか 古代のロマン.    Since 2016.1.22


by 古月 乙彦(ふるつき おとひこ)
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