古月のおと

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六嶽周辺の五芒星 2  星ケ丘

六嶽周辺の五芒星 2

星ケ丘

2016年1月23日

六嶽周辺のたくさんの五芒星が織りなす大域パターンには驚かされる。

それを皆さんにも早くお伝えしたいのだが、大域パターンが現れる
範囲の地図では、五芒星とランドマークの関係が分解能的に見え
なくなくなって、「ホンマにそうなん?」となりそうだ。

なぜ五芒星なのか、大域パターンはどんななのか気になるところ
だろうが、分子を聞いたことがない相手にいきなり高分子の話を
しても理解は得られないだろう。

古のアルケミストたちが やったように、まずは元素・分子の存在
から認知してもらえるように説明していくのが早道だろう。

そこで、六嶽周辺の五芒星をひとつひとつ順番に提示して、確かに
社寺や道路・交差点、はたまた小中学校や橋といったランドマーク
によって五芒星がくっきり大地に刻まれている様子を納得して
いただきたい。

前回、新延(にのぶ)から神崎(こうざき)にかけて見られる五芒星を
紹介した。

今回は、直方市頓野(とんの)から北九州市星ケ丘にかけてみられる
五芒星を紹介する。

a0351692_11160588.png


ここは、住宅地化が進んで、神社があまりのこっていないが、
学校がたくさん五芒星にラインに乗っている。古墳や祭祀の
址が学校となる例は多いという。

また、道路が面白いように五芒星に重なってくる。五芒星に
対応する一部の道路は、私がひいた線にあまりにピッタリと
重なりすぎて見難いくらいだ。川に架かる橋の位置まで五芒星
によって決定されているのがわかる。

頓野の五芒星の大きさは、新延の五芒星の大きさと同じである。
別の回に述べる大域パターンからの理由によってもここに五芒星
があるだろうと推察されるし、実際、ランドマークがピッタリ
と重なる。

五芒星の頂点の位置は、五芒星に内在する角度を有する五叉路や
三叉路の存在によって、ビンポイントで決定できる。驚きだ。

真上(北)に舞岳神社がみえる。香月家譜によれば、
「御剣王の御子天ノ磐代武部ノ種日子王は父に劣らぬ武勇の人
であったが、(中略) 御子津々賀御ノ王を舞岳(尺岳)日本武尊
小狭田彦御剣王合祀の神主となし」云々とある。

秋葉神社がみえる。アキバといえば東京の秋葉原の秋葉大明神が
最も有名だが、秋葉原の秋葉大権現は江戸時代に佐竹藩が勧進
したものだ。中部地方に秋葉神社が多いのも徳川家による保護が
理由だろう。

京都に虚空蔵と関わりがある古い秋葉神社がある。ここにみえる
秋葉神社は、京都の秋葉神社の元宮である可能性もある。
(理由はあるが主題から逸れるので別の機会に譲ることにする)

なお、住所地が直方市や北九州市となっているが、この辺りは
いずれも旧 鞍手郡のうちであったことを書き添えておく。


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# by furutsuki_oto | 2016-01-23 11:53 | 六嶽周辺の五芒星 | Comments(1)

六嶽周辺の五芒星 1  月の丘

六嶽周辺の五芒星 1

月の丘

2016年1月22日


昨年の11月から、いつも読んでる綾杉るなさんのブログ
「ひもろぎ逍遥」で「脇巫女」シリーズが始まった。

 なんと私が子供時代に15年間住んでいた町が舞台だ。

「脇巫女 7 宇佐の姫大神」の段で、るなさんは次の様に
書いている。

| 八幡は舟人で、太白暦(金星暦)だった。のちに八幡は
| 宇佐と結託する。
|
| 後には河童と呼ばれる國栖(鞍手族)は「つき人」と
| 呼ばれ、太陰暦(月暦)だった。
| 國栖は磯城(しき)という石積みを作った。
|
| 石上(いそのかみ)は磁針作成の達人で、やがて舟人の
| 八幡と結束する。
| 
| 石上は物部のことだ。

この話を読み、私は、白道と黄道の交点がずれていくを観測
するためには、月の出を見る山なみがだらだらと低い方が
良いのではという趣旨のコメントをした。

それがキッカケで、月の観測の好適地のお訊ねがあって、
いくつか提案した。

まず、ベストポイントとして挙げたのが、剣岳の八剣神社の
東にある丘だ。

その時はまだ丘の名前は知らなかったが、そこは少し前から
「ひもろぎ逍遥」のコメント欄で七色さん が注目していた
「鷹ノ口おだ山」だった。

そこが月観測のベストポイントと考えた理由は、

1) 東がひらけていて低い山なみがだらだらと続き、日の出と
月の出の位置ならびに時刻を確定しやすい。


2) 目盛りとなるおあつらえ向きの山がある。真東(3時の方角)
  に金剛山、真東から30°南(つまり4時の方角)に福智山、
  真東から30°北(つまり2時の方角)に帆柱山が位置する。

現在の 鷹ノ口おだ山 では、木や住宅が邪魔して眺めが悪いが、
木々を伐採して丘の頂上から見れば、次のような眺望となる
はずである。

a0351692_05470900.png

広い遠賀川流域でも こんな場所は他にない。きっと月暦の人達
にとっては特別な場所に相違ない。

±30°というのは何かというと、月の出の位置が動く範囲だ。
(地球の地軸の傾き) 23.4° + (白道と黄道の傾き) 5° + (視直径の半分) 0.25° + (摂動寄与) 0.2°
の合計で 約29° (ほぼ30°)である。 スーパームーンが帆柱山から昇る。

次点には、木月宮を挙げた。埴生神社も月見の名所である。

七色さん 星読さん るなさんとは1月に一度会おうということ
になったが、元旦から不思議な夢を見る様になり、鞍手の大地
に刻まれた「五芒星」と「らせん」、その他の高次パターンを
見つけることになる。
ここで言うところ「五芒星」とは、まさに星マーク。京都の
清明神社の神紋として知られるのと同じ形であって、身近に
あって集落の日々の時計となり、暦を確認する目盛りを地に
刻んだ五芒星なのだ。

「近畿の五芒星」として知られるような巨大なものではない。
それほど大きくない分だけクッキリと大地に刻まれている。

百聞は一見にしかず、まず一例を示す。

最初に挙げるのは、鞍手町の新延大塚古墳周辺にみられる五芒星。

a0351692_05555438.png

「神社」や「山の頂」が目印になっているが、それ以上に
「道路」に痕跡が残っている。

鞍手 いや六嶽の周辺には、こうした五芒星がいっぱいあって、
より大きなパターンを織りなしているのだが、この発見を
万人に納得してもらうには 多くの図を提示する必要がある。

古代の鞍手の物語は しばらく「ひもろぎ逍遥」のるなさん に
お任せして、当面の間、このブログでは、大地に刻まれた五芒星
をひとつひとつを紹介していこうと思う。


おっと、肝心の「月の丘」たる「鷹ノ口おだ山」の五芒星を
忘れていました。

a0351692_00124704.png

五芒星の中に神社が無い特殊な例ですが、周囲の状況はここが
確かに聖地であったことを示しています。


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# by furutsuki_oto | 2016-01-22 23:03 | 六嶽周辺の五芒星 | Comments(0)
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古月 乙彦 のブログ  神社とか星とか 古代のロマン.    Since 2016.1.22


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