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大将軍八神社


大将軍八神社


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ここは、北野天満宮のすぐ真南にあります。
拝殿正面の 六芒星 と 八角 をあしらった石柱が印象的です。

大将軍八神社の起源は、平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏(御所)の
北西角の天門に設けた「大将軍堂」です。
大将軍とは、方位のことを司る星神さまです。
ここは、平安京ができた当時の陰陽道の中心だったのです。

陰陽道の資料を納めた方徳殿の公開は年二回、5月1日~5日と11月1日
~5日で、予め連絡すればそれ以外に日でも拝観可能となっています。
方徳殿の一階は素晴らしい「立体星曼荼羅」、二階には神社の歴史・
陰陽道や天文学に関する貴重な古資料があります。

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大将軍八神社の御朱印帳とお守りは、天文ファンにはたまりません。

以前、渡月橋ちかくの法輪寺の住職の法話で、月の観測の話が出て、
秦氏は日枝の山から昇り愛宕に沈む月、東山から昇り松尾に沈む月を
観測していたということを聞きたように思います。
ここがその観測点ではないかと思い、作図してみることにしました。

衛星写真をもとに線で結んでみると・・・

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パーフェクトです。

蛇足ですが、愛宕鎌倉山(大鷲峰)の月輪寺の開基は8世紀ごろのようです。
その際、銅鏡が出土して、そこに「奇観自在、照体普弥綸、仏祖大円鑑、
人天満月輪」という銘があったことから、月輪寺というそうです。
やはり、開基が平安京の準備の時期に重なっています。しかし鏡の存在が、もっと古い時代からの月観測との繋がりを示しているようにも思われます。

初稿で書いたのはここまでだったのですが、ちょっとまって。
上の図、開いている角度が26.5度ですね。
30度でキチンと線を引きなおしてみます。
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月輪寺が外れてしまいました。神護寺の方がしっくりきます。

神護寺は、もとは高尾山寺といって和気清麻呂が天応元年(781年)に建てた私寺でした。
和気清麻呂は、平安遷都の提唱者であり、また新都市造営の推進者です。高尾山寺も国家安泰を祈願して建てられました。

神護寺(高尾山寺)も愛宕五山に数えられます。ただ、愛宕山頂と比叡山頂を印としていたとすると、大将軍八神社よりもう少し南西にズレた場所に本来の古い時代の観測点があったのかもしれません。ここは、より古い観測点があったが平安京遷都時に少し離れた大将軍八神社の場所に観測点を遷したのだろうと考えておきます。

吉祥院天満宮は、菅原家が信仰する吉祥天を祀る吉祥院を邸内に建立し氏寺としたのが始まりだそうで、道真公生誕の地ともいわれます。吉祥天の垂迹が七面天女ですね。

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by furutsuki_oto | 2016-09-11 08:46 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(2)
Commented by furutsuki_oto at 2017-02-04 15:32
舟山の所在地は、北区西賀茂船山 です。賀茂で鉄と関係ある?と連想しますが、「ふなやま」は褐鉄鉱が採れる地の意味のよう。リモナイト風化地層。西賀茂には赤土の農地が今もある。
Commented by furutsuki_oto at 2017-03-01 00:03
愛宕は、古くは「をたぎ」と読んだそうですが、「たき」「たぎ」は火打石のことなんだとか。火打石にできる石はフリントだけでなく、黒曜石やチャート、サヌカイト、玉髄ほか色々とある。古代に火打石と火打金の区別は無く、黄鉄鉱も火打石のうち。こちらは「きたぎ」といったとか。
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古月 乙彦 のブログ  神社とか星とか 古代のロマン.    Since 2016.1.22


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