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摂津の「高月」

摂津の「高月」

期末で本業が忙しく、すっかり書くのをサボっていました。ごめんなさい。そろそろまた書き始めます。あっちいったり、こっちいったりのブログですが、気長にお付き合いください。

さて、
京都や北摂には、国譲りのあとの大国主(大物主)や事代主がやってきたという伝承がいくつもみられます。今日は、そうしたなかのひとつをご紹介します。

日本書記によれば、事代主と三島溝杭耳命(みしまのみぞくいみみのみこと)の娘・玉櫛媛の間にできた娘・媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)が、神武天皇の皇后になりました。

媛蹈鞴五十鈴媛は、京都の貴船神社の末社 鈴市社に祀られています。三島溝杭耳命は、水田稲作のためにたくさんの溝を掘った方です。古事記では三嶋湟咋となっています。三島溝杭耳命は、大阪府茨木市五十鈴町の溝咋神社に祀られています。

溝咋神社がある場所、そこは、摂津国三嶋郡溝杭庄です。溝杭庄は、平安時代末期まで後白河院領溝杭庄として存続していました。摂津国三嶋郡です。設けられた頃の摂津国三嶋郡は、現在の茨木市市街地から高槻市ならびに三島郡を含む一帯です。


ちなみに高槻は、昔は「高月」といったそうです。「高月」の由来については、2つの説があります。

(1)『古事記』や『日本書紀』にある神武東征の時に、大和で長髄彦
  一族に苦しめられた。そこで道臣命と可美真手命を東征軍の長に
  任じ、征伐に成功したことから天皇は三島の土地を与えた。
  その軍隊の旗印が月をかたどっていたので、褒美に貰った土地を
  高月と呼ぶようになったという説。

(2)安満庄にあった天月弓杜(あめのつきゆみのやしろ)が高月読杜
 (たかのつきよみのやしろ)とも呼ばれ、そこから一帯を高月と
  呼んだという説。


淀川の三島の津は筑紫津と呼ばれていました。そこ(高槻市津之江町)には今も筑紫津神社が建っています。祭神は 素盞嗚尊、摂社に竜王神社があります。

筑紫と高月(高槻)の繋がりを示すお話しでした。

(つづく)


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by furutsuki_oto | 2016-03-27 17:01 | 摂津・山背・亀岡 | Comments(0)
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