「月守」は、天にかかる月から日と時刻を知る術をもっていた。
ただし、月の位置が直接時計の針になるわけではない。
季節によって多少差はあるが、月は毎日、約50分ずつ遅く出る。季節による増減がこれに加わる。季節による増減は、黄道が赤道に対して23.4°傾き、更に白道が黄道に対して5°傾いているからである。
時計の針にする星が赤道から離れるほどに、星の高さ(角度)への季節の影響が大きくなり、星や月の位置から正確な時刻を読み取るのは困難になる。
月の位置を時計の針にするには、補正が必要なのだ。おそらく、「月守」は、月の位置から時刻を読み取るための換算表をつくったのだろう。彼らが使った観測装置からどこまで彼らの暦にせまれるだろうか。
さて、「月守」の精密な換算表を考える前の準備として、江戸時代に使われた日単位の簡単な換算表についてまず学ぶ。
日単位の簡単な換算表は六曜と呼ばれる。
六曜とは、七曜との混乱を避けるために明治期につくられた用語だが、七曜と区別するうえで便利なので、ここではその名を採用することにする。
現在の太陽暦の時代においては、六曜は、月の日にちとの関係が一見して良くわからず、規則的でありそうな、そうでもなさそうな不思議なものとして一種のゲン担ぎの占いのようになってしまっているが、本来は、月の位置を時計とするための補正表だったのだ。
月は日々約30分の1日ずつ南中が遅れる。
簡単のために、この遅れ時間を時刻の単位とする時計で考える。
つまり一日を30の刻(とき)に分ける時計を考える。
天の黄道と白道は5°ずれているだけなので、これから展開する議論においては、その差は無視しておいてよい。
一日を30の刻(とき)に分ける時計なので、赤道を30分割した30の宿(しゅく)を考える。月が日周運動で、この宿のひとつ分を周る時間が刻(とき)の一単位である。また、月は毎日この宿をひとつずつ東へ巡っていく。
月の位置を時計の針とすると、この時計の針は、計りたい時刻に対して、毎日刻(とき)の一単位分遅れる時計である。更には白道と赤道の傾きからくる季節差も重なってくる。
月の位置から時刻を知る補正表をこの宿を用いてつくることができる。それが六曜だ。
江戸時代に使われ、現在も残っている六曜は、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六種の曜である。太陰暦の場合、毎月1日の六曜は、月を表す数字を6で割った余りで決定される。(閏月は前の月と同じになる。)
また日が進むにつれて六曜もひとつずつ進む。月日により六曜が決まることになる。
結局、六曜の定義としては、太陰暦の月の数字と日の数字の和を6で割った余りで決定することになる。
おもしろいことに、年間の催事の六曜と月の形が固定する。
例えば次のような具合である。
元旦 1月 1日 (太陰暦):1+1=2, 2÷6=0余り2→先勝, 朔
七夕 7月 7日 (太陰暦):7+7=14, 14÷6=2余り2→先勝, 上弦
七五三 11月15日 (太陰暦):11+15=26, 26÷6=4余り2→先勝, 満月
月の形で日にちを確定させると、こんなメリットがあるのだ。
一日を30の刻に分割するとすると、
月の位置を時計の針とするための補正表は次のようになる。
一週 二週 三週 四週 五週
第1日 先勝 +0 +6 +11 +17 +23
第2日 友引 +1 +7 +12 +18 +24
第3日 先負 +2 +8 +13 +19 +25
第4日 仏滅 +3 +9 +14 +20 +26
第5日 大安 +4 +10 +15 +21 +27
第6日 赤口 +5 +11 +16 +22 +28
六曜なので各週はもちろん六日間である。
七日めは翌週だ。五週(つまり30日)で1日分の遅れを取り戻す。
ここで、第一週は、必ず新月から始まる。
誤差を累積させないために、毎月ついたちで六曜は振り直す。
(そこが周期性が乱れる部分にみえる)
これはなかなかよくできている。六曜で針の読み方を変えるのだ。つまり、月の位置を読んで、六曜の補正を加えると、現在時刻が出てくるのである。
ここまでの方法に五芒星は要らない。
六曜の補正表は、一日単位の補正を可能にしている。
六曜は、一日を30の刻に分割した際に有用である。
江戸時代の使い方はちょっとおかしい。
さて、いよいよ本題の「月守の暦」をひもとく準備ができた。
五芒星のドラゴンカーブを利用する「月守」たちは、もっとうまいことやっていた。先の六曜の補正表は、一日単位のものだったが、もっと進んだより精密な補正表を使っていたに違いない。先の六曜の補正表は、一日単位のものだったが、もっと進んだより精密な補正表を使っていたのだ。彼らは、時間分解能3分間で観測された「星読」の成果のうえに乗ることができた。
だいぶ、長くなったので今日はこの辺で一区切り。続きは次回に。