六嶽周辺の五芒星 1 月の丘
六嶽周辺の五芒星 1
月の丘
昨年の11月から、いつも読んでる綾杉るなさんのブログ
「ひもろぎ逍遥」で「脇巫女」シリーズが始まった。
なんと私が子供時代に15年間住んでいた町が舞台だ。
「脇巫女 7 宇佐の姫大神」の段で、るなさんは次の様に
書いている。
| 八幡は舟人で、太白暦(金星暦)だった。のちに八幡は
| 宇佐と結託する。
|
| 後には河童と呼ばれる國栖(鞍手族)は「つき人」と
| 呼ばれ、太陰暦(月暦)だった。
| 國栖は磯城(しき)という石積みを作った。
|
| 石上(いそのかみ)は磁針作成の達人で、やがて舟人の
| 八幡と結束する。
|
| 石上は物部のことだ。
この話を読み、私は、白道と黄道の交点がずれていくを観測
するためには、月の出を見る山なみがだらだらと低い方が
良いのではという趣旨のコメントをした。
それがキッカケで、月の観測の好適地のお訊ねがあって、
いくつか提案した。
まず、ベストポイントとして挙げたのが、剣岳の八剣神社の
東にある丘だ。
その時はまだ丘の名前は知らなかったが、そこは少し前から
「ひもろぎ逍遥」のコメント欄で七色さん が注目していた
「鷹ノ口おだ山」だった。(「高ノ口」とも書くようです)
1) 東がひらけていて低い山なみがだらだらと続き、日の出と
月の出の位置ならびに時刻を確定しやすい。
2) 目盛りとなるおあつらえ向きの山がある。真東(3時の方角)
に金剛山、真東から30°南(つまり4時の方角)に福智山、
真東から30°北(つまり2時の方角)に帆柱山が位置する。
現在の 鷹ノ口おだ山 では、木や住宅が邪魔して眺めが悪いが、
木々を伐採して丘の頂上から見れば、次のような眺望となる
はずである。
広い遠賀川流域でも こんな場所は他にない。きっと月暦の人達
にとっては特別な場所に相違ない。
±30°というのは何かというと、月の出の位置が動く範囲だ。
(地球の地軸の傾き) 23.4° + (白道と黄道の傾き) 5° + (視直径の半分) 0.25° + (摂動寄与) 0.2°
の合計で 約29° (ほぼ30°)である。 スーパームーンが帆柱山から昇る。
次点には、木月宮を挙げた。埴生神社も月見の名所である。
七色さん 星読さん るなさんとは1月に一度会おうということ
になったが、元旦から不思議な夢を見る様になり、鞍手の大地
に刻まれた「五芒星」と「らせん」、その他の高次パターンを
見つけることになる。
清明神社の神紋として知られるのと同じ形であって、身近に
あって集落の日々の時計となり、暦を確認する目盛りを地に
刻んだ五芒星なのだ。
「近畿の五芒星」として知られるような巨大なものではない。
それほど大きくない分だけクッキリと大地に刻まれている。
百聞は一見にしかず、まず一例を示す。
最初に挙げるのは、鞍手町の新延大塚古墳周辺にみられる五芒星。
「神社」や「山の頂」が目印になっているが、それ以上に
「道路」に痕跡が残っている。
鞍手 いや六嶽の周辺には、こうした五芒星がいっぱいあって、
より大きなパターンを織りなしているのだが、この発見を
万人に納得してもらうには 多くの図を提示する必要がある。
古代の鞍手の物語は しばらく「ひもろぎ逍遥」のるなさん に
お任せして、当面の間、このブログでは、大地に刻まれた五芒星
をひとつひとつを紹介していこうと思う。
おっと、肝心の「月の丘」たる「鷹ノ口おだ山」の五芒星を
忘れていました。
五芒星の中に神社が無い特殊な例ですが、周囲の状況はここが
確かに聖地であったことを示しています。
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